2017年10月16日 (月)

Windows10バージョン1703機能更新プログラム

歳のせいばかりにはしたくないが、システムのトラブルを解決する忍耐強さというか、気力が失せてきたような気がする。それでも、放り出すわけにも行かないので、大いに時間を浪費しながら解決を試みた。

ともかく、あたらしいことは極力対応したくない。せっかく安定させたシステムである。それでも、新たな対応を迫るのが現代の潮流であるのも分かっている。

最近、そのうちのひとつであったのが、Windows10CreatorsUpdataへのアップデートである。確実にアップデートしておくことが、セキュリティに繋がるであろうという盲信もあって、Microsoftより要求された「プライバシー設定」は済ませておいた。

その後、何かアクションがあるのかと思っていたが、できれば新環境への移行の時間を稼ぎたいというのが正直なところだった。

あるときから、ADSLのDATAランプの点滅が気になっていた。電源が入っているは、ただただ点滅を繰り返している。ネット接続が不安定なのは体感できるので、接続トラブルの可能性を疑い、持てる知識を総動員したが、目に見える効果はなかった。

Windowsの設定>更新とセキュリティの頁で更新の履歴を見ていて気がついた。そこにあったのは「Windows10バージョン1703機能更新プログラム」のインストール失敗が累々とリストを飾っていた。

そこで、ネット上を調べてみると、Microsoftより要求された「プライバシー設定」を済ませていると、自動的にWindowsUpdataから、Windows10CreatorsUpdataへのアップデートが予定され、それが「Windows10バージョン1703機能更新プログラム」のダウンロード、インストールという手順であることが理解できた。

一日中、ADSLのDATAランプの点滅が気になっていたこともあり、Microsoftから急かされるようにして、「インストール失敗」が累々とリストを飾っていた理由に対して、思いつく限りのことを試した。ネット上を見ると、試行錯誤の記録が山のようにあった。

パソコンを起動しダウンロードが行われる時間を、サーバーの繁忙時間を避けたかったが、どこのサーバーかも分からない訳で、効果があったどうか不明である。サードパーティー製のウイルスソフトは一旦アンインストールした。WindowsDefenderに暫時頼ることとした。ダウンロードはともかく、インストールには有効ではなかったろうか。MACのBootCamp環境が影響したかどうか。

そこで、最終的に成功した際には、ダウンロードで100%を表示した後にも(10%あたりほぼ1時間見当)、「インストールする準備をしています」とのメッセージに変わらず、出直しも考えたが、ここまで来てあきらめる訳にも行かない。そのまま放置し、数時間後に確認したところ、「Windowsの更新と構成」まで進んでいた。エラーが出ていなかったが、一日仕事となった。システム環境の違いで掛かる時間は差が出るだろう。果たして妥当な線だったかどうか。

(システム上のことは自己責任でお願いします。)

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2017年10月 6日 (金)

平成29年 川越まつり

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10月を迎えると、川越まつりが目前であることに驚かされます。
来週の週末、14日(土)・15日(日)の両日です。ここが一年のインターバルの起点とも言えるでしょう。

天候の善し悪しの確率は五分五分というところだと思いますが、秋の夜長、お囃子の調子に誘われて町会の山車を訪ねるのはよい思い出になるでしょう。

本川越駅前から北上する通りの拡幅工事が進み、以前のような山車の通行に伴う緊迫感や曳っかわせも表情が変わってきたようにも思いますが、昔と比べれば落ち着いてまつり見物ができる反面、いささか寂しくもあります。

昼から出掛けるもよし、夜の盛り上がりに身を浸すのもよし。
お出掛けの折りには、「川越まつり公式サイト」がネットに開設されていますので、ここで情報収集をおすすめします。

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2017年9月28日 (木)

興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」*東京国立博物館

初日に訪れた。
学芸員資格の講座を修める際、講師の先生から特別展の「初日」に訪れるのは賢明ではないとの助言を頂いた。そこには納得できる理由は存在するのだが、当日、同館で、「浮世絵の歴史」と題するギャラリートーク(分かりやすく言えば、専門家の解説と言うべきか)が予定されており、修了後、特別展も訪ねることにした。

種々の尊像は、それぞれに経典での意味づけ、それに基づくお姿の違いがあった上で、製作時期の時代背景、それを消化して造形化する仏師の感性の違いを感ずるべきなのだろう。

今回の特別展では、運慶とその後継者に関する時間軸上に焦点を絞っていることが成功しているように思える。講学上の網羅的な研究対象というよりも、その一時代をになった仏師の感性を感じさせる空間であった。

■展示内容
第1章 運慶を生んだ系譜-康慶から運慶へ
第2章 運慶の彫刻-その独創性
第3章 運慶風の展開-運慶の息子と周辺の仏師

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2017年9月10日 (日)

池之端*旧岩崎家茅町本邸

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旧岩崎家茅町本邸が池之端に残る。
今となって見れば、それは奇跡に等しいかもしれない。
三度目か、四度目かと考えながら、過日再訪した。
訪れるごとに、その空気感も訪れる人々の視線も違うような気がする。

随分と前の話だが、一般公開が始まる前、以前の司法研修所を訪れた際、帰りがけに庭から洋館の室内をヴェランダの窓越しに見たことがある。警備の方に断ったのは、もちろんのこと。

現在は補修工事が施され、天候が良ければ、邸内には明るい陽が差している。洋館が木造の柔らかさを醸し出しているが、2階のヴェランダから、広大な庭を見渡せば(現在は国有地の他、一般の私有地として分割、縮小しているが)、当時のカントリーハウスを模した豊かさは想像に難くない。
ただ、洋館については、私的な生活空間とは捉えられず、和館との機能分離は明確であった。私的生活空間は、その裏に連なる和館のエリアであることが分かるが、その一部が、洋館との接続部分の広間として残されたが、これもまた奇跡であろう。取り壊された和館の生活生活空間に、主とその一家の息遣いを求めたいが、今はもう遅い。

(1994-7東京人「特集湯島岩崎家本邸全公開」を参照)
初代である岩崎彌太郎が、明治11年8月に田辺藩主牧野弼成の屋敷地を買い取り、その後も周囲の家屋を買い足す。牧野弼成の屋敷地には百一坪の平屋の母屋と数棟の付属家が配置されていたが、その八千五百四十余坪から、結果として彌太郎が当主の時に、一万四千四百坪まで買い進められた。彌太郎自身は、明治15年8月に駿河台より移り住む。明治18年2月7日に本邸で没する。
その敷地に、明治26年より三菱合資会社三代目社長を務めていた彌太郎の長男久彌が、コンドルの設計により(和館の棟梁は「念仏喜十」大河内喜十郎)明治29年8月に竣工させる。

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2017年8月10日 (木)

祈りのかたち 仏教美術入門*出光美術館

学芸員資格へのアプローチが、仏像ひいては仏教にも軸足があったので、当美術館の「祈りのかたち 仏教美術入門」をテーマにした企画展に心がひかれた。

以下は学芸員的な感性から。

ビジネスビルに収容された美術館で、天井が低いけれど、フロアの見通しはよい。そこに設定された展示室を回ることで、順路は確保される。

何より特筆すべきは、通常展示ケース内にある、カード形式のキャプションが、当美術館のオリジナルだろうか、半透明の樹脂板に印刷され、展示ケースのガラスに貼付されているように見えた。

展示ケース内にピン止めされているよりは当然、視認性が格段に優れている。その内容も、図版のビジュアル表現も持ち込み、意欲的な取り組みだと感じた。

展示ケース内の作品と、キャプションとの一覧性には議論があるかもしれないが、作品の全体像を把握する手引きだとすれば、作品を見る前段階として、キャプションにより導入されることは抵抗がない。

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2017年8月 7日 (月)

鎌倉*立秋

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8月6日、翌日に立秋を控え、鶴岡八幡宮のぼんぼり祭に赴く。
日中、参拝を済ませた後に、ぼんぼりに仕立てられた書画を拝見する。

夕刻、巫女さんがぼんぼりに灯を入れて回り始めると、日中の境内の雰囲気からぼんぼり祭の舞台が出来上がる。

夕闇の中、ぼんぼりに灯が入り、ほんのりとした明るさをまとって、その奥行きを増した書画の中、お気に入りのぼんぼりにレンズを向けて回る。

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2017年7月30日 (日)

川越*川越百万灯夏まつり

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最終日、7月30日にカメラを提げて出没する。

日没後、まつり見物のお客さんが大変多くなり、いささか驚く。

日中から各種行事が企画されていますので、お出掛けになるには下調べは欠かせません。

実際は、もう少し明るいのですが、提灯の明かりの表現がが思うに任せず、いささか残念かも。

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2017年7月16日 (日)

京都*初夏の息遣い

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今年は春から何かと気ぜわしい日々が続きましたが、7月に入り、京都、奈良の寺社回りとともに、祇園祭りの宵山を歩きました。
路地の奥にも夜空に祇園囃子の鉦の音が、響いています。

昨年、学芸員の資格の最終関門である博物館実習を修了して以来、寺社を回り、尊像をお訪ねることにも特段の意味を見出していますが、今回の京都行は京都の夏の風情を感じることにも期待して、夜行バスで関西を目指しました。

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2017年3月29日 (水)

アーカイブス 東京駅復元 2012

■ギャラリー「風の休日」に掲載(2012.12.31) 
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蘇った東京駅の姿を、今年最後の投稿とします。

写真でしか見たことがなかった南北のドームのインパクトが大きい。
リアルな存在として目前にしているのが不思議でもある。
人の往来する場として成長し続けるダイナミズムを内包し、丸の内には明治の姿を残すことに。

復元工事前の姿(2005年当時)と比較しておきたい。

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アーカイブス 高輪*建築の幻影 2

■ギャラリー「風の休日」に掲載記事(2008.5.18)2008_0508dscf0027
前回の、高輪*建築の幻影は個人的思い入れですので、ー度だけと考えていましたが、別角度のショットをもう一回だけ、その2です。

詳細は、前回の投稿に譲りますが、写真正面が、品川駅前のホテルパシィフィック東京になります。
この斜面に水路(らしき景色)は続きますが、その先には高輪南町御用邸がありました。
傾斜地の下にある石組み(建築の風景*高輪の幻影 前・後編)まで続いていた水路は、傾斜地の途中の湧水を、その直下の池に導いたように思えます。
その敷地を包含していた薩摩藩下屋敷の建築物の配置は材料がありませんが、その配置が、残された地形の造園に何かしらの影響を及ぼしていることは確かでしょう。
この造園の痕跡がどこまで遡れるものなのかが、関心の的です。
その鍵は、やはり木子文庫にあるのですが、個人的に、すっきりできたら報告できると思います。

課題を残しているのですが、それもまた楽し...(^^ゞ

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アーカイブス 高輪*建築の幻影

■ギャラリー「風の休日」に掲載記事(2008.5.9)

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去る5月4日に、清正公大祭に合わせて高輪を再訪。
幼少期には、子供の日に絡むお祭りなので、年中行事として楽しみでした。
その後、川越の住人となってからも、近隣の散歩をすることが目的で、このような機会を見つけて時折訪れます。

ここは品川駅前の一角にある「高輪森の公園」というところ。
薩摩藩下屋敷から高輪南町御用邸までの歴史をまとっているところです。
何度か訪れることになりましたが、敷地内の樹木が整理されたとともに、少し荒れてしまったようで、その全体を包み込む空気感が失われたようです。

写真はその一部ですが、傾斜地にある公園の頂上付近から、枯山水のような遺構が続き、その麓にあたる公園の正面部分には、思わず歩みを止めるような大きな石組みが残ります。
それは、斜面途中からの湧水を、水路に沿って導いたように見えます。(写真の右から左へ。)

ネットフェンスの向こう側には、切り取られた敷地が続いていたわけですが、水路を渡る飛び石は、その奥まで続いていた様にも見えます。
また、頂上部分には東屋の痕跡を見ることができます。それは、小石の混ざった洗い出しのような床で、掘っ立て柱の跡が残る...。

散策の途中、東屋から飛び石を渡り、ネットフェンスの向こう側に続いていた敷地の奥に向って散策する、当時の主の後姿が見えるようです。まるで幻影のように。

当blogの本店である「川越の風」で、「建築の風景*高輪の息遣い2」を纏める際に、歴史の痕跡を探し歩いた折、出会った場所です。その後、「建築の風景*高輪の幻影(前・後編)」で一歩踏み込んで触れてみました。

四方を、それぞれの地権者に囲まれたこの小高い丘を中心とした公園は、明治以降の歴史のうねりの中で取り残されたポケットのようです。
詳細な考証があってしかるべきかと思いますが、今のところ、ほんの入口程度で...(¨;)。

少し落ち着いたら、ディテールをもう少し掘り下げる...つもりです。
それにしても、月1ペースか...(^^ゞ

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2017年3月26日 (日)

これぞ暁斎!This is Kyosai !

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムを訪れる。
2015年6月に三菱一号館美術館で「画鬼・暁斎 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」にも訪れているので、そのコレクションの主体が異なる事からも、プラスアルファも期待しつつ尋ねてみた。

英国人建築家ジョサイア・コンドル( コンダーとの呼称には違和感が残る)が暁斎に弟子入りしていたことは有名な話で、前回の特別展は、日本文化に向かい合った、建築家としての業績の展開として画業を捉えることにも魅力があった。

今回のゴールドマン コレクションは、海外の蒐集家によるコレクションだが、幕末から明治に掛けて人気を博した絵師に対する、その視線を感じることができる。

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2017年3月12日 (日)

文化財を守る

昨年、早稲田大学の夏季講座にて、博物館実習の単位を取得することができた。これで、法定の要件は満たしたことになる。
よって、少なくとも学芸員の入口からその奥を覗くことに、現実味を帯びることになった。何かしらの形で、その感性を試すことができればよいのだが。

今回は、早稲田大学文学部学芸員資格課程による第6回特別講演会に参加する。テーマは「文化財を守るために1」、行政の立場から、その枠組みと実際を語って頂いた。

民族の文化、歴史を承継することとは、何だろう。その息遣いを後世に伝えることではないだろうか。その目的のため、今を生きるものとして、その役割について反芻が続く。

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2017年3月10日 (金)

3月11日を前にして

日本各地で自然災害に見舞われ、その抗いようのない自然の力のもとで、人生を大きく変えられた隣人がいる。
その驚きと恐怖感、抗いようもない大きな力で蹂躙される無念さは想像を超える。

その中でも、2011年3月11日には東日本大震災が襲い、未だ収拾したとは言えない地震と津波による激甚な被害の他、放射能汚染の危険性は今そこにある危機でもある。幸いなことに、その直接な被害は免れたが、その波及した生活上の影響として、毎日の生活を計ることに追われた日々があった。

当時、動画で目の当たりにする、押し寄せる巨大な水塊がもたらす甚大な被害は、現実として受け止めるには時間が必要だった。現場に居合わせなかったことは事実だが、知人がそこで目の当たりにしていたことを思うと、当時は、身の回りのほか、何が出来るかとの思いが去来をしていた。

混乱の中、震災から三ヶ月後には、現場に向かうことができた。圧倒的な被害の下、何か出来たわけでもない。ただ、知人に心を寄せることが出来ればと思い、震災後、全線開通したての東北新幹線で北へ向かった

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2017年3月 9日 (木)

法定講習を済ませば

宅地建物取引士の法定講習を受講する。手元にあった宅地建物主任者証は、宅地建物取引士証に切り替えとなった。法改正が反映された。士業としての心構えが問われるところ。

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2017年1月13日 (金)

あの頃のこと その3

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あの頃のこと あの頃のこと その2 続き

食の記憶は、何より忘れ難い。

当時から店舗を構えていた洋菓子店ホーリーさんのサバランである。以前、立ち寄って買い求めた時は味が変わってしまったかと思ったが、今回は懐かしい味がした。高輪台小学校の入口付近に出来たお店で、登校時には甘いにおいに鼻腔がくすぐられた。

蕎麦屋さんとしての存在感は新月さん、足を伸ばせば天神坂は長壽庵さんだったと思う。以前にも触れたが、たぬきそばの天かすの旨さを覚えたのが新月さんである。蕎麦屋のカレー、カツ丼、たぬきそば、きつねそば、おかめそば、夏場には蕎麦屋の冷やし中華。その中でも、ふたが閉まらないカツ丼のボリュームは、小学生にはたまらなく贅沢で魅力的なものだった。そのときの経験から、カレー、カツ丼のトッピングはグリンピースだろうと確信めいたものがある。

出前を頼むと、麺類には七味と長ネギの薬味が小皿に乗り、新月と印刷された細長い紙にくるまれていた。カツ丼には沢庵と新香であったと思う。

中華は宝来さん。何でも美味しかった記憶。チャーシュー麺は魅力的だったが、何にすると聞かれれば、タンメンだった。半割のゆで玉子が好きだった。

それ以前にさかのぼる食の記憶は、温かいコロッケである。
屋号は覚えていないが、すでに転出していた上行寺の正門脇にあった肉屋さんがお決まりであった。小学校に上がる前、初めての小遣いは10円玉を握りしめて、コロッケを買いに走った。
肉屋の店頭で、注文すると、割烹着を着たおかみさんが精肉の冷蔵庫の大きな扉を開き、あらかじめ整形したコロッケのねたを取り出す。小麦粉をはたき、玉子をくぐらせ、パン粉をつける一連の所作を目の前で見ることが出来る。その間、大きなフライ鍋のコンロに火をつける。フライヤーの時代ではない。おそらく、ラード100%だったろう。真っ白に固まっていていることがあった。溶けるのを待つ時間も、期待が膨らんだ。時によっては、テーブルの下からラードを追加することも。

今でも忘れられないのは、コロッケを揚げたおかみさんが、ソース掛ける?と尋ねてくれたこと。実はおやつの買い食いではなく、本人は、一個のコロッケを持って家に帰るつもりだったのだが。

この店では、経木に揚げ物を包んでいた。お店によっては今でも現役かもしれない。その上から緑色の紙でくるんで渡してくれる。さらに、記憶にあるのは。冷えないように新聞紙でくるんでくれたように思う。店の入口からは、カレンダーの裏(たぶん)にマジックで書いた手書きの値段表が見えた。家の総菜に、コロッケ以外のメンチカツ、時にはトンカツを頼むときにはいささか緊張したとともに、持ち帰るときには充実感が漂った。

朝、肉屋さんの前の路上に練炭火鉢に火が入り、ジャガイモを茹でるお釜を載せてあるのを見ることがあった。それを、横目で見ながら登校した。

冬の季節感を感じたのは、鳥屋さんかもしれない。屋号は加賀屋さんだったと思うが、クリスマスが近づくと、店頭で観覧車のようなのロースターが回っていたことを思い出す。今でも、商店街で見かけることがあるが、あれである。温かい総菜の中でも、ひときは存在感を放っていた。商店街をとおって下校するのも、生活の息づかいがあった。

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2017年1月12日 (木)

あの頃のこと その2

あの頃のこと 続き

品川駅前には明治維新後の後藤象二郎邸、それに続く旧皇族の邸宅の歴史があり、以前の記事ではその歴史を出来るだけ立体的に構成してみた。詳細は以前の記事に譲りたい。ひとことだけ触れれば、品川駅前から石榴坂を上りその、高輪の台地の上を走る通りまで現在プリンス系のホテルが軒をならべる一体は、旧皇族の広大な邸宅地であった。

台地の上を北上する二本榎通り沿いは寺町であった。
また、そこには、日常生活を支える商店が軒を並べていた。生鮮食料品はもちろん、米屋、豆腐屋、酒屋、乾物屋、雑貨屋、和菓子、和装、カバン屋、床屋、美容室、医院、薪炭店、ガソリンスタンド、時計店、電気店、蕎麦屋、中華料理店、鳥や、信用金庫、郵便局、高輪台小学校の入口付近の文具店、小学校前の駄菓子屋、鰻屋、喫茶店、今となっては驚くべきことに商店街に面したて小さな映画館があった。円筒形のチケット売り場が正面にあった。いちどだけ、父に連れられ、中に入ったことがある。提灯が下がった2階の桟敷席だった。刀を振り回す時代劇だったことだけは覚えている。

床屋は明治学院に向かう道路脇の平賀理容院さんに通った。南側の窓は歩道に接して開放感があった。大きな大人用の椅子に、子供用の補助椅子を掛けていた頃からのおつきあいだった。円筒形の湯沸かしと洗面が壁際にあって、おじさんに促されて、洗髪に椅子を移る、昔はどこも皆同じだったろう。それと子供として大きな利害関係は、待ち時間に週刊漫画のバックナンバーを読破できることだった。

そうそう、おもちゃ屋も2軒あった。トイランドとハトや、小学校前の駄菓子屋も入れれば3軒。そこでは、ずいぶんと無駄遣いをしたと思うが、シート状の石けんにイラストが印刷されている「紙石けん」という商品が流行っていて、これは小学校での手洗いという名目で、どちらかと言えば胸を張って買ったと思う。
                           
高輪警察署と高輪消防署前の交差点の角には、二階建ての大きな書店があった。その反対側の角には、いつの頃からかショーケースだけの、小さなケーキ屋さんができた。それ以前は和菓子を商っていたように思うがそこの記憶が定かでない。

書店の建築が進んでいる頃の高揚感が思い出される。毎日、工事現場の脇を通って通学をしていた。道路際に出窓が目立っていたが、気がつけば本のショーウインドだった。組み立て済みの大きな螺旋階段が工事現場に運び込まれていたが、出来上がってみれば、入口脇に設置された2階が回廊式の吹き抜けだった。いずれにせよ、インターネットのない時代に、情報があふれる予感に、高揚感に包まれていた。

二本榎商店街の商家の記憶のひとつとして、商店街の中程、芝信用金庫の並びに、カバン屋さんがあった。小上がりがあって、カバンの修理もされていたと思う。その頃流行のジーパンに合わせる幅広の革ベルトを探しに行った。気に入ったかどうかは覚えていないが、商品を定めて、購入を申し出た。まだ、中学生でしかなかった私に、「ありがとう存じました」と声を掛けて頂いた。その商いの姿勢に触れたようで、今でも記憶に残る。

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2017年1月10日 (火)

迎春

新年明けましておめでとうございます。

新年の東京国立博物館を訪ねました。国宝である、長谷川等伯の「松林図」に巡り会えたのが最大の成果でした。印刷物でも伝わるものはありますが、霧の中で、冷たい空気に満たされた空気感が伝わるための展示室での距離感が重要であると実感しました。
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2016年12月23日 (金)

あの頃のこと

このブログ開設当初から、幼少期から学齢期まで過ごした土地である高輪のことについて書き残してきた。過去の投稿と重複するが、再びまた、いくつか触れてみたいと思う。いろんなことを書いてきたので、整理することも大変なことなのだが、この年末年始において断片的に触れることをお許し願いたい。 (これまでの、本テーマの記事は、カテゴリー「路地*高輪、白金」をご覧下さい。)

まずは、品川駅前から。つい最近、京浜急行で横浜へ往復する機会があったので、平日だったこともあり、その息遣いを感じられるかもしれないと師走の二本榎を目指した。

品川駅は新たな役割が加わり、加えてリニア新幹線の工事も始まった。見た目、高輪口は昔のディテールを残しているが、港南口は新しい街となっている。また、隣接する田町駅との間にある泉岳寺前においても、新駅の開設に伴う開発行為が予定されている。

過去の記憶は、当時の時計が脳裏で時を刻むかのように、その風景と息遣いとして生きている。
高輪口の駅前は、現在、JR駅舎と隣接する京急のイメージが昔のイメージを残しているが、その向かい側は様変わりしている。京品急行の旧本社と、京品ホテルがランドマークではなかったか。むろん、そこが北品川から延伸された路面電車の始発駅だったころは知らない。旧京急本社ビルの脇を走る石榴坂を、西に向かって上れば突き当たりには森村学園があり、道なりに右折すれば二本榎の商店街に至った。実際は、プリンスホテルの敷地の脇を蛇行する坂道があり、そこを通り抜けるのがアクセスだった。

駅前に立つと、空は低かった。表現がどうにかならないかと思うが、そんな感じかもしれない。当然、都電の最盛期を体験しているし、トロリーカーも現役の頃を見ている。その架線が主要な道路を覆っている、そんな時代があった。

旧国鉄駅舎の一階、今はホームへ向かう階段の上がり口になっているところが、有人の改札口のあったところで、その脇に出札窓口が並んでいた。現在はコンビニやらコインロッカーが場所を占めているあたりである。

窓口は路線別に並んでいたのだと思うが、いくつあったろうか。子供の頃、窓口に張り付くと、切符を扱わせては達人と思わせるような係員に、緊張しながら行き先を告げた。係員は、行き先ごとにセットしてある硬券を素早くホルダーから引き抜き、日付を打刻するダッチングマシンをくぐらせる。原始的な機械だと思うが、それは山手線一駅間の切符でも行われる大層な儀式に思えた。付言すれば、改札にも達人がいた頃の話である。

その後しばらくして、改札口寄りの出札口に何台か、自動券売機が設置されたが、現在の多機能な券売機とは比べようがない。特定の区間、運賃が単一の切符の発行ではなかったろうか。ともかく、硬券と比べ心許ない、ぺらぺらの切符というイメージだった。

出札窓口のいちばん北側には長距離用の出札窓口があった。帰省時期などには、申し込みのため、早朝から列を作ったような気もするが、いつの頃からか予約になって、手配の結果だけ知るようになった。その奥のはずれには、鉄道小荷物、チッキの受付があり、親と一緒に帰省する際の荷物などを持ち込んだ。宅急便はまだ、影もかたちもなかった頃のことである。

さらに、駅の北側には隣接して、狭小な飲食店が軒を並べる一角があった。昭和42年実施の住居表示新旧対照案内図で確認出来るが、数十軒というレベルである。かつて、戦後国鉄のターミナル駅前にあった闇市の流れをくむ一角だったのだろうか。珍しく家族三人で外出した帰り、品川駅に帰着し、その一角にあった中華料理屋の2階で、私たちだけで夕食をとったことを思い出す。   
追って、その二へ。                                                               

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2016年12月22日 (木)

学芸員的視点 その3

その後、特別展として根津美術館の「丸山応挙 写生を超えて」、サントリー美術館の「世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画」を訪ねた。

前者はこれまで、訪ねたかったが足を踏み入れていなかったところ。庭園も含めて館の世界ができあがっている。「写生を超えて」応挙が目指してものを感じさせる意図だった。後者は巨大なビルの中に内包されたミュージアムである。その世界に馴染むのに時間がかかったが、展示ケース内の作品の高さ、間隔とも無理なくストレスがない。展示作品には、「秋田蘭画」を残した秋田藩士の視線を感じられる。

小田野直武の「不忍池図」は、階下に下り、オープンなスペースで見ることができる。その構図、色彩とも西洋画の技法を消化しようとした意思が伝わる。ミュージアムショップ土産の絵はがきとして、現在、目の前に立てかけてあるのは「不忍池図」である。

年末年始には、これまでも書き残してきた高輪の記憶について、触れてみる予定です。

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2016年11月 9日 (水)

閑話*来るべきものが

私が使用する携帯電話はいわゆるimode 携帯である。
維持コストが適当で、機能に過不足なく、ウイルス対策の心配もまずないことがいい。ネットも家庭内PCで用が足りるし、ネット環境を前提とした携帯電話でのソリューションは、私のような、ものぐさな人間にはオーバースペックであり、現状がベストマッチである。

今回、一部例外の機種を除いて、imode 携帯の出荷終了をタイムスケジュールに上げてきた。正に来るべきものが来たということ。中古市場もあるけれど、これまで以上に丁寧に扱おう。
故障など招かぬよう。

何の進歩もないが、それでいい。

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2016年10月23日 (日)

学芸員的視点 その2

学芸員資格に関する課程をすべて修了し、無事単位取得となったことにより、かねてから企てていたプランを実行に移すこととした。
博物館で尊像とお会いするもあるが、お堂の中で拝見することは、そこに企図された仏の世界として感ずることにも通じる。
日本美術史にも挑戦したこともあり、修学旅行生とは異なる視線で尊像のお顔を拝みに、奈良を目指した。結構、緻密に行程を組み立てたつもりだが、よくある話で、計画の半分を実行できたかどうかというところ。

法隆寺の救世観音立像を拝見するにはタイミングを失したが、百済観音立像はその朝鮮半島風の様式に吸い寄せられるものがある。五重塔の内陣の塔本塑像にもこだわりがあっただが、手が届きそうだが遠いので、かろうじて、印刷物のイメージと重ね合わせる。東大寺では、まっすぐ法華堂を目指す。不空羂索観音立像を中心とした諸尊とお会いすることが目的である。また、平等院鳳凰堂に隣接する鳳翔館では、鳳凰堂にあることが極楽浄土を表現するとともに、阿弥陀如来との来迎の姿を表す雲中供養菩薩像を間近で見ることが出来たのは収穫であった。

付言すると、訪れたお寺は基本的に撮影の規制があり、その意味での収穫はないが、その分その表情を拝むことにもなった。
修学旅行の時はどうだったろうか。遙か昔のことではあるが。

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2016年10月21日 (金)

川越まつり その2

2016_101501
天候に恵まれ、祭り見物としては、お出掛けになった方はよい記憶を残されただろうと思います。以前書きましたが、天候に恵まれる確率はあまり高くないような気がしますので、絶好のお出かけ日和だったと思います。

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2016年10月11日 (火)

川越まつり

今週末、15・16日には、川越まつりです。
具合よく、涼しくなって、夜の祭り見物には具合がよろしい。
天気も良さそうです。
日中もよし、また夜のそぞろ歩きもまたよし、BGMはお囃子のリズムです。

追伸 お出掛けの際には、公式HPをご参照ください。m(__)m

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2016年10月 7日 (金)

学芸員的視点

先の投稿にあるように、この夏、学芸員資格課程における最終ステージ「博物館実習」を、つまずきながらも修了することができた。学芸員資格者ということになる。
9月下旬には、実習の前から予定していた東京国立博物館の特別展と、鎌倉の鏑木清方記念美術館に出向く。

東京国立博物館では特別展「平安の秘仏 櫟野寺の大観音とみほとけたち」において、巨大な十一面観音菩薩坐像を中心に、薬師如来坐像、地蔵菩薩坐像、同立像、観音菩薩像が展示されている。仏像のディテールを追うとともに、無意識のうちにも、その展示に至るプロセスがイメージされる。中でも、この展示においては、テーマの「櫟野寺の大観音とみほとけたち」を意識させるライティングの巧みさが目を引く。計画された「影」の演出が、堂宇の下の仏像群をイメージさせる。それも、学芸員的視点だろうか。

鎌倉の鏑木清方記念美術館は、小町通りを折れた裏道の奥にある。住宅街の中にひっそりとたたずむ姿は、ご遺族のご意向とのこと。挿絵画家に端を発する画業の中、美人画にも背景の物語をイメージされる。さて、次には、修学旅行とは違った視線で、奈良の仏像にお目にかかりたい。

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