2019年10月19日 (土)
2019年4月16日 (火)
高輪の春に
今上天皇のお代替わりが近い。
天皇、皇后両陛下は上皇、上皇后両陛下として、現在の東宮御所を改修の後、仙洞御所として住まいを移される。その準備のために、港区高輪にある高輪皇族邸(旧高松宮邸)に一時住まいを移されることが報道されている。
かつて高輪の台地を駆け巡った少年の記憶は、すでにこの場に書き遺した。皇族に縁のある土地柄だったが、少年の頃の私と、当時の街の息遣いが両陛下をお迎えする。そんな春の夢をみた。
2019年4月15日 (月)
京の春に
四季の便りが届くたび、
卓上カレンダーをチェックして思いを巡らす。
今回は夜行バスを駆って、京都を目指した。
桜の盛りを迎える前のこと。
早朝の京都から、近鉄で奈良へ向かう。近鉄奈良駅から、観光客の波が押し寄せる前の東大寺を目指す。東大寺の二月堂で手を合わせ、舞台から大仏殿越しの奈良の市街地を望む。真新しい御朱印帳に御朱印を授かる。
ここからが旅の始まり。
2019年3月11日 (月)
3月11日その後のこと
3月23日に三陸鉄道リアス線開業。
岩手県の第三セクター三陸鉄道が経営する北リアス線と南リアス線の間を繋ぐ、沿岸部の宮古-釜石間は、JR東日本の山田線の一部であった。2011年3月11日の東日本大震災で被災し、復旧について地元自治体と調整の結果、JRから三陸鉄道に営業移管し、北リアス線と南リアス線を統合して、新たにリアス線として運行再開を迎える。
平成は戦争がなかった時代であったが、抗いようのない数多くの自然災害に立ち向かうことを迫られた。自然の脅威に対しては、復興に立ち上がる道を政治が指し示すが、時の経過が進むほどに地域のコミュニティの喪失が、ひとびとの歴史に影を落とすことも明らかになった。
古文書が、過去の教訓を書き残しているが、平成の多くの災害の記憶が、後世の人々の覚悟と自信につながることを信じたい。
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2019年2月 6日 (水)
国立歴史民俗博物館に行く
年が明けてから、佐倉まで国立歴史民俗博物館を訪ねた。
地域の歴史と民族を展示の目的とする博物館は、特定地域の研究、学習を目的とするが、初めて訪れた当館は、これを超える規模であった。日本民族の歴史を軸とした民族のディテールを記録することに挑んでいるかのようだ。
展示室の配置は歴史を軸に構成されているが、その中を時系列に順次テーマを追うことには限界を感じた。時代ごとに焦点を当てているテーマを探す努力が求められる。迷路にはまっては時間がもったいない。館側の用意した文脈を辿りながら、その意図を読み取りたい。心の準備が整わないまま訪れたせいか、未消化のまま博物館を後にした。暖かくなってから、再訪を考えよう。
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2019年2月 5日 (火)
改元の年として
年明け早々、という表現を使うには似つかわしくなく、もう二月を迎えている。例年にもまして時の歩みが速く感じるのは、天皇陛下の譲位によるお代替わりと、それに伴う、改元が予定される年を迎えたことにある。
天皇陛下のご意向に端を発した議論から、国民の総意としてこれを受け入れたものと解釈するが、民族としての歴史の節目としてどういう意味を持つのか、歴史に付箋を挟んでおきたい。
ただ、現行憲法の下、「国民統合の象徴」として務められてきた天皇陛下と、その支えとなられた皇后陛下の姿を忘れないだろう。
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2018年12月 4日 (火)
山手線新駅の名称のこと
以前、この場を利用して、「高輪泉岳寺駅」という提案をしてみましたが、擦らなかったようで残念でした。それはそこまでの話でよいのですが。
新駅の周囲を大規模開発することもあり、どうしても、外国人ツーリストを意識したものにも映りますが、この度発表された「高輪ゲートウェイ駅」なる名称は、JR東日本のプレス発表を見ても、何か腑に落ちない。残念ながら、理解力の貧しさは言い訳できません。
駅名としての「ゲートウェイ」とは、新旧の文化・歴史的集積地に対する「方向性」を意識します。その意図として、旧来の地域性を残す、高輪にベクトルを向けるのでしょうか。それとも第一京浜の海側に新たに創造される街並み・文化に向けるのでしょうか。創造される新しい街並みと旧来の街並みを駅名に集約するJR東日本のコンセプト作りにハードルの高さを感じます。
ふと気がついたことがあります。開発地域に隣接して、第一京浜沿いの田町駅よりに、史跡「高輪大木戸跡」がある。これは正に「ゲートウェイ」そのものではないか。少なからず、意識の下にあったのではないか。思いつきですが、そんな自己解決を試みました。
ついでに、語感としては「ゲートウェイ高輪」じゃないかと思います。
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2018年11月28日 (水)
ここのところ気になることが
オーバーツーリズムということ。
そのような表現を目にすること増えた。
それは、旅行の目的地が有する、ツーリストを迎えるための広い意味でのキャパシティに、過剰な負荷がかかることへの問題意識だとすれば。迎え入れる方には重い負担が発生するのは当然のこと、遠路を訪れる方にも利害が発生するのは明らかで、現在でも懸念が示されているだけではなく、2025年の万博対応に懸念の声も聞かれる。
旅の目的とするのは異文化と接触すること。
その興奮と喜びは共有できるとともに、旅先の文化を理解する努力が旅の醍醐味だと理解する。これを促進するのも、迎え入れる方の喜びである。
しかし、国の政策においてもツーリストの増加だけが目的のように喧伝されるのはどうなのだろう。人気の観光スポットは外国人ツーリストの喧噪で埋まり、京都奈良を代表する精神文化に触れる機会さえも、テーマパークを巡るのと変わりないようにも映る。
誰が悪いわけでもない。ただ、観光地のキャパシティ、いわば物理的な限界を試すだけでは、迎え入れる方は当然、遠路をはるばる訪れる方にもツーリズムの期待された成果物が残るものなのか、一片の疑問が残るのも事実である。
学芸員の資格課程を修了した後、京都・奈良を数回訪れた。御本尊や寺宝の特別公開などは気にしつつも、トップシーズンは微妙に避けて目的を設定する。微妙な駆け引きだが、これも現実かと思う。喧噪の中でツーリストに巻き込まれぬよう街を歩く。すると、街の息遣いを感じられるような瞬間を見つけられる。そう思う。
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2018年10月29日 (月)
2018年10月17日 (水)
2018年10月16日 (火)
「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」
10月2日から12月9日まで。(東京国立博物館)
千本釈迦堂とも称され、京都市街では最古の木造建築と言われる。北野天満宮を訪れた際、足を伸ばすことも考えたが実行に及んでいなかった。今回、鎌倉期の仏像に焦点が照られる。釈迦如来座像と十大弟子立像が一堂に会する空間が濃密ともいえる。快慶作とされる十大弟子の表情に息遣いを感じさせるものがある。
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2018年9月22日 (土)
「仏像の姿~微笑む・飾る・踊る~」
三井記念美術館で9月15日(土)より。
本特別展では、「仏師」の豊かな感性と独創性、そして高度な技術に光を当て、特に仏像の「顔」 「装飾」 「動きとポーズ」を切り口に、日本人の心と創造力を様々な角度からご覧いただくことに挑戦。 (同館HP展覧会の主旨より)
かねてより、衆生の救済、来迎などの場面を想起させる、仏像のフォルム、動きに、静かな躍動感を感じさせることはあったが、特定の仏師、制作年代、寺院に軸足を置く展示が通例見られる中、同館からのテーマ性の挑戦を受けるようだ。
意外な展示内容だったが、模刻、復元にひとつの展示室を割いている。
「日本古来より培われてきた仏師の技術や創意工夫が、未来にどのように継承されていくかを考えます」と同館HP上解説されている。模刻作品とともに研究成果のパネル表示があり、過去から未来へ続く歴史の道端に立っていることを認識させる
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2018年8月12日 (日)
冷凍みかんの記憶は
近所のスーパーで、冷凍みかんを見つけた。
私にとっては、数十年前の記憶として感慨深いものがあるのだが、いまでも夏の風物詩なのだろうか。
昔の記憶と、スーパーの冷凍ケースに収まっているそれとはその意味が異なるのだろう。
私の原風景は、夏休みに父の郷里に帰省する、一日がかりの列車の旅である。もちろん新幹線もない頃、東北本線の特急電車と、ローカル線を乗り継いで、朝、家を出てから、父の実家につく頃は夕方で。親戚によく来たと迎えられると、ようやく旅の幕は降りた。
冷凍みかんの出番は、上野駅である。
長旅のお供として、父に買い与えられた。いつのころからか、うれしさも半減していたような気がするが、あの冷たさは特別だった。父は携帯サイズのウイスキーの小瓶を買い求め、車窓の風景に重なるように、窓際に置いた。
あの、夏の風景は脳裏に。
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2018年8月 8日 (水)
そろそろ再開ということで
新年度になれば気忙しさも和らぎ、再開できると思っていましたが、一度生活のリズムから外してしまうと暦は進むばかりで。
ともかく再開したいと思います。
表紙のデザインも秋冬ヴァージョンから、夏ヴァージョンに。
(東京ミッドタウン日比谷)
視点は、建築に。
有楽町や日比谷の風景は、丸の内や日本橋のビジネス街ほどのスピード感はないにしろ、時代の歯車が回るように、その表情を変えて来ました。
(三信ビル)
近隣で、最後まで偉容をとどめていた三信ビルが、関東大震災後の都市の歩みの中で育まれた使命を終え、取り壊されてから何年経つでしょうか。(昭和5年(1930)竣工 横河工務所、平成19年(2007)老朽化のため解体 三井広報委員会)
今年、その地に開業した東京ミッドタウン日比谷の一角には、三信ビルの記憶をとどめていることが報道されていました。
歴史上の使命をを終えた建築物と、新たな使命を期待されて創造された新たな空間とを比較することは積極的な意味を持たないかもしれませんが、脳裏に刻まれた記憶と、新たに創造された空間の重なる部分を探しにちょっと訪ねることにしました。
三信ビルの地下にも飲食を中心に店舗がありましたが(私が出没した頃は、ブックスタンド、事務スペースもあった気がする。竣工時には異なる表情を見せたでしょう。三信ビル保存プロジェクトのHPには地階と8階に大食堂があった旨の資料がある。)、その建築物としての「顔」は、建物両翼を貫通するヴォールト天井を有する1-2階吹き抜けのアーケードでした。
東京ミッドタウン日比谷の、地下鉄からのエントランス部分に用意された新しい空間には、ヴォールト天井その意匠と、アーケードとしての機能を引き継ぐ、若しくは写し取ろうという意図が感じられます。三信ビルのアーケード2階の回廊部分の手すりの意匠も復元されていました。回廊は機能的に設置できなかったようですが。
ただ、なにかそこには落ち着かないものを感じます。天井高とスパンのバランスだろうか。結果、アーケードとしての機能というよりも、その風情を残した広大なエントランス空間としての機能が期待されているのかも知れません。
日比谷の映画街の昔、先代の宝塚劇場、薄らと漂う記憶とともに東京ミッドタウン日比谷の地上のエントランスを出る。ゴジラのモニュメントの脇をすり抜けJRのガードに抜ける。
なんと、ゴジラは代替わりしていたらしい。
その先の定食屋、いわさきさん(名前は忘れていた)の前では経営者と思われるご夫婦が立ち話中。先輩に案内されて、日比谷公園の向こう側から訪ねてきたのを思い出す。
そうそう、そういえば、もう二筋ばかり新橋よりにあったいわゆる純喫茶(通り沿いから銘品らしきカップが見えていた)はなくなったような気がするが、再開発の脇で、時計がとまったような一角が残る。
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2018年1月 1日 (月)
平成三十年 新たな気持ちで
暦は巡り、本年は何回目かの年男を迎える。
気負いがないわけではないが、新たな気持で過ごしたい。
暦の区切りは、そのきっかけになればよい。
とりあえず、年始早々、東博に出かけようと思う。
特別展「仁和寺と御室派のみほとけ ― 天平と真言密教の名宝」
平成館 2018年1月16日(火)~2018年3月11日(日)
これから、超えるべきハードルを考えながら。
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2017年10月29日 (日)
Windows10バージョン1709機能更新プログラム
1709は、Windows10 Fall Creators Updateのこと。
数日前に、試行錯誤の末に終えたWindows10 Creators Updateの記憶が新しい。前者のUpdateがアナウンスされてから、半年後のUpdate完了も乗り遅れているのかもしれないが、それもMicrosoftの意向と言ってよいだろう。
今度も同様にUpdateのタイミングはMicrosoftの意向ながら、提供の開始後、数日ということで大層早い。前者の経験が、今回の作業に役立ったともいえるが、連続の大仕事での疲労感は隠せない。ともかく時間を費やした。
ネットの書き込みを見ると、それなりのハードと光回線ならば、一時間程度で終わったとの体験談もあった。当方、ADSLで勝負しているので比較にならないのだろうが、ほんとうだろうか。
聞こえてくるところでは、Windows10に関しては、これから年に2回ほどの大規模Updateで、製品として構成していくのがMicrosoftのスタンスらしい。 光回線に乗り換える妥当性も見えてくる、Updateのためというのも疑問だが。なにやら、近い将来、電話回線網の見直しが視野に入ってきているらしい。通信分野の新たなテクノロジーを俯瞰してもよい時期かもしれない。
(システム上のことは自己責任でお願いします。)
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2017年10月16日 (月)
Windows10バージョン1703機能更新プログラム
歳のせいばかりにはしたくないが、システムのトラブルを解決する忍耐強さというか、気力が失せてきたような気がする。それでも、放り出すわけにも行かないので、大いに時間を浪費しながら解決を試みた。
ともかく、あたらしいことは極力対応したくない。せっかく安定させたシステムである。それでも、新たな対応を迫るのが現代の潮流であるのも分かっている。
最近、そのうちのひとつであったのが、Windows10CreatorsUpdateへのアップデートである。確実にアップデートしておくことが、セキュリティに繋がるであろうという盲信もあって、Microsoftより要求された「プライバシー設定」は済ませておいた。
その後、何かアクションがあるのかと思っていたが、できれば新環境への移行の時間を稼ぎたいというのが正直なところだった。
あるときから、ADSLのDATAランプの点滅が気になっていた。電源が入っているは、ただただ点滅を繰り返している。ネット接続が不安定なのは体感できるので、接続トラブルの可能性を疑い、持てる知識を総動員したが、目に見える効果はなかった。
Windowsの設定>更新とセキュリティの頁で更新の履歴を見ていて気がついた。そこにあったのは「Windows10バージョン1703機能更新プログラム」のインストール失敗が累々とリストを飾っていた。
そこで、ネット上を調べてみると、Microsoftより要求された「プライバシー設定」を済ませていると、自動的にWindowsUpdateから、Windows10CreatorsUpdateへのアップデートが予定され、それが「Windows10バージョン1703機能更新プログラム」のダウンロード、インストールという手順であることが理解できた。
一日中、ADSLのDATAランプの点滅が気になっていたこともあり、Microsoftから急かされるようにして、「インストール失敗」が累々とリストを飾っていた理由に対して、思いつく限りのことを試した。ネット上を見ると、試行錯誤の記録が山のようにあった。
パソコンを起動しダウンロードが行われる時間を、サーバーの繁忙時間を避けたかったが、どこのサーバーかも分からない訳で、効果があったどうか不明である。サードパーティー製のウイルスソフトは一旦アンインストールした。WindowsDefenderに暫時頼ることとした。ダウンロードはともかく、インストールには有効ではなかったろうか。MACのBootCamp環境が影響したかどうか。
そこで、最終的に成功した際には、ダウンロードで100%を表示した後にも(10%あたりほぼ1時間見当)、「インストールする準備をしています」とのメッセージに変わらず、出直しも考えたが、ここまで来てあきらめる訳にも行かない。そのまま放置し、数時間後に確認したところ、「Windowsの更新と構成」まで進んでいた。エラーが出ていなかったが、一日仕事となった。システム環境の違いで掛かる時間は差が出るだろう。果たして妥当な線だったかどうか。
(システム上のことは自己責任でお願いします。)
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2017年10月 6日 (金)
平成29年 川越まつり
10月を迎えると、川越まつりが目前であることに驚かされます。
来週の週末、14日(土)・15日(日)の両日です。ここが一年のインターバルの起点とも言えるでしょう。
天候の善し悪しの確率は五分五分というところだと思いますが、秋の夜長、お囃子の調子に誘われて町会の山車を訪ねるのはよい思い出になるでしょう。
本川越駅前から北上する通りの拡幅工事が進み、以前のような山車の通行に伴う緊迫感や曳っかわせも表情が変わってきたようにも思いますが、昔と比べれば落ち着いてまつり見物ができる反面、いささか寂しくもあります。
昼から出掛けるもよし、夜の盛り上がりに身を浸すのもよし。
お出掛けの折りには、「川越まつり公式サイト」がネットに開設されていますので、ここで情報収集をおすすめします。
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2017年9月28日 (木)
興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」*東京国立博物館
初日に訪れた。
学芸員資格の講座を修める際、講師の先生から特別展の「初日」に訪れるのは賢明ではないとの助言を頂いた。そこには納得できる理由は存在するのだが、当日、同館で、「浮世絵の歴史」と題するギャラリートーク(分かりやすく言えば、専門家の解説と言うべきか)が予定されており、修了後、特別展も訪ねることにした。
種々の尊像は、それぞれに経典での意味づけ、それに基づくお姿の違いがあった上で、製作時期の時代背景、それを消化して造形化する仏師の感性の違いを感ずるべきなのだろう。
今回の特別展では、運慶とその後継者に関する時間軸上に焦点を絞っていることが成功しているように思える。講学上の網羅的な研究対象というよりも、その一時代をになった仏師の感性を感じさせる空間であった。
■展示内容
第1章 運慶を生んだ系譜-康慶から運慶へ
第2章 運慶の彫刻-その独創性
第3章 運慶風の展開-運慶の息子と周辺の仏師
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2017年9月10日 (日)
池之端*旧岩崎家茅町本邸
旧岩崎家茅町本邸が池之端に残る。
今となって見れば、それは奇跡に等しいかもしれない。
三度目か、四度目かと考えながら、過日再訪した。
訪れるごとに、その空気感も訪れる人々の視線も違うような気がする。
随分と前の話だが、一般公開が始まる前、以前の司法研修所を訪れた際、帰りがけに庭から洋館の室内をヴェランダの窓越しに見たことがある。警備の方に断ったのは、もちろんのこと。
現在は補修工事が施され、天候が良ければ、邸内には明るい陽が差している。洋館が木造の柔らかさを醸し出しているが、2階のヴェランダから、広大な庭を見渡せば(現在は国有地の他、一般の私有地として分割、縮小しているが)、当時のカントリーハウスを模した豊かさは想像に難くない。
ただ、洋館については、私的な生活空間とは捉えられず、和館との機能分離は明確であった。私的生活空間は、その裏に連なる和館のエリアであることが分かるが、その一部が、洋館との接続部分の広間として残されたが、これもまた奇跡であろう。取り壊された和館の生活生活空間に、主とその一家の息遣いを求めたいが、今はもう遅い。
(1994-7東京人「特集湯島岩崎家本邸全公開」を参照)
初代である岩崎彌太郎が、明治11年8月に田辺藩主牧野弼成の屋敷地を買い取り、その後も周囲の家屋を買い足す。牧野弼成の屋敷地には百一坪の平屋の母屋と数棟の付属家が配置されていたが、その八千五百四十余坪から、結果として彌太郎が当主の時に、一万四千四百坪まで買い進められた。彌太郎自身は、明治15年8月に駿河台より移り住む。明治18年2月7日に本邸で没する。
その敷地に、明治26年より三菱合資会社三代目社長を務めていた彌太郎の長男久彌が、コンドルの設計により(和館の棟梁は「念仏喜十」大河内喜十郎)明治29年8月に竣工させる。
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2017年8月10日 (木)
祈りのかたち 仏教美術入門*出光美術館
学芸員資格へのアプローチが、仏像ひいては仏教にも軸足があったので、当美術館の「祈りのかたち 仏教美術入門」をテーマにした企画展に心がひかれた。
以下は学芸員的な感性から。
ビジネスビルに収容された美術館で、天井が低いけれど、フロアの見通しはよい。そこに設定された展示室を回ることで、順路は確保される。
何より特筆すべきは、通常展示ケース内にある、カード形式のキャプションが、当美術館のオリジナルだろうか、半透明の樹脂板に印刷され、展示ケースのガラスに貼付されているように見えた。
展示ケース内にピン止めされているよりは当然、視認性が格段に優れている。その内容も、図版のビジュアル表現も持ち込み、意欲的な取り組みだと感じた。
展示ケース内の作品と、キャプションとの一覧性には議論があるかもしれないが、作品の全体像を把握する手引きだとすれば、作品を見る前段階として、キャプションにより導入されることは抵抗がない。
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