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2005年11月30日 (水)

責任ということ その2

リンク: 川越の風: 責任ということ.
 昨日、「構造計算書」の偽造問題で、衆院国土交通委員会の参考人質疑がありました。
参考人それぞれの立場で想定された回答のみで、あまり具体的な意義付けを感じられないものでした。

 さる、住民代表の方が指摘されていましたが、規制緩和で民間開放された「建築確認」制度は、建築基準法改正の当時から、「システム」として安全を担保しえなくなるとの指摘がされていた事実もあり、制度の適正運用を行えないまま放置した「行政の責任」は逃れられません。
 自治体の業務責任者が、「職員はよくやっているが、3週間では出来ません」と公言する異常さは、現状を放置した責任の大きさがうかがい知れるというものです。
 不完全な(機能しない)「システム」のまま、民間業者に自由競争をあおった結果、(想定の範囲内であった)結果を発生させてしまい、その後始末として、法律的な責任の存否について追求を行うだけでは、今回の膨大な「社会的損失」と、住民の方の「精神的打撃」はあがなえないものがあります。

 販売業者の瑕疵担保責任を筆頭に、特定の業者の責任追及だけに終わらず、行政の制度設計、運用に関する責任が明らかにされなければ、国民にとって、建築確認制度は「砂上の楼閣」になりかねません。
 また、さる国会議員が、「法律が想定していなかった」と発言していましたが、これは「100年に一度の水害」(天災)ではなく、明らかに行政の最終責任を問うべき「人災」であることを意識しなければ、当事者としての認識に欠けると言わざる得ません。

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