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2005年11月20日 (日)

閑話・高輪台小学校のこと

2005_11190001640 ≪東京都港区立高輪台小学校 「創立35周年記念」(S44)で配られた「文鎮」です。懐かしいと思って頂ける方がいらしゃれば幸いです。≫
 
11月13日「建築のこと・雑感」で、我が母校として「高輪台小学校(昭和10年)」に触れましたが、こんな風情の校舎です。
先に触れましたとおり、モダニズム建築の先駆とも言われますが、天井が高く、開放的で、彫りの深いところもありますが、装飾を排した力強い建築物です。 震災復興小学校ですから当然ですが。

校舎の三方に、踊り場の日照が配慮された中折れ階段があり、中央の煙突部分の脇には大きな螺旋階段がありました。
今はどうしているのか、給食用のパンは校舎内で焼いており、午前中には校舎内に焼きたてのパンの香りが漂っていました。煙突は、そのためのと思っていました。暖房のためのラジエターを見た記憶もないのですが、竣工当時には暖房用のボイラーがあったのかもしれません。それでも、入学時には未だコークスのダルマストーブが現役で、在学中にはガスストーブへの切り換えがありました。
ランドセルを背負って、学校まで二本榎商店街を駆け抜けた頃、目にした周囲の色、形、においの記憶はビデオを再生するように何故かリアルに残っています。

現在、高輪に今超高層マンションが竣工間近らしいのですが、その敷地はバブル時に地上げされ、再開発できずに取り残されたところでした。多くの商家や民家が消え、マンションが並ぶ無機質な風景が多くなりましたが、この一角も、ようやっとマンションに生まれ変わるといったところでしょうか。

そこには、二本榎商店街に面して「新月」という蕎麦屋さんがあり、何台かの出前のバイクが並んでいました。「たぬき蕎麦」の味を覚えたのはここですが、いわゆる「蕎麦屋のカレー」が好物でした。また、その隣には、当時子供の好物の代名詞でもあったコロッケを買いに走った精肉店があり、朝の通学時には女将さんが、店頭で七輪にお釜を掛け、仕込みのじゃがいもを茹でている風景がありました。動物病院があり、八百屋さんががあり、中学生になって初めて革靴を買ってもらった靴屋がありました。

都内最後の望楼を持つ「高輪消防署二本榎主張所」のある交差点を右手に曲がると明治学院までの下り坂ですが、その坂に沿って、古くからの町家が並んでいました。平賀理容店、近藤電気、松坂屋カメラなどという名前は懐かしいと思われる方もいらっしゃるかも知れません。

その敷地の内側部分は、明治学院がグランドとして使用していましたが、もとは上行寺という寺の敷地でした(相当前のことですが)。昭和42年施行の住居表示によって消えてしまった「二本榎」という地名の謂われが伝わる寺院だったのですが。

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