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2006年4月 3日 (月)

建築の風景;白金台の砦 前編

0001_2 先日、所用にて芝公園の近辺に出向きました。
時間の余裕ができたので、帰路を考えていたところ、偶然、等々力行きのバス停を見つけました。
この路線は、大学入学の時分まで住んでいた大変懐かしい土地を通るため、時間は二の次で、途中の目黒駅まで利用することにしました。

バスは、桜田通りに沿って慶應義塾の脇を通り、「魚籃坂下」に停まります。名前の所以は、坂の途中にある魚籃寺にありますが、坂の頂上の伊皿子交差点を越すと、海側へ伊皿子坂が下っています。
小学校の頃は、このあたりまで守備範囲でした。
どちらかと云うと小さなマーケットや商店が並ぶ、生活のにおいがする街でした。なじみの模型店(見るだけ..)があったのですが、小さな映画館なんかもあったような気がします。バスの車窓から見る限りでは、今は通りの区画が名残をとどめる程度でしょうか。

次は、「白金高輪駅前」ですが、すぐ脇には、私の母校であります港区立高松中学校があります。
私たちがお世話になった古いコンクリート校舎は跡形もありませんが、バラックのような体育館や、使命が終わった戦前の木造校舎の幻影が時の流れの中で漂っているようです。
桜田通りと分かれ、大きく右折すると、日吉坂の手前で「清正公前」に停まります。
5月の子供の日には加藤清正公を祀る覚林寺の大祭があり、地元の子供達には親しまれています。
気が向けば、その頃に街を訪ね、昔の痕跡を捜してみたりもします。

桜田通りに面した車窓には、高輪の台地が連なっていますが、高層マンションが唐突に目につくようになりました。
先の投稿にも記しましたが、ひと昔前の「地上げ」の影が、不釣り合いなマンションの屹立として残っています。もともと、西武グループが大変な執着をもって、戦後財政的に窮した旧皇族の敷地(東久邇宮、竹田宮、北白川宮)を買い占めたのが端緒かもしれませんが、時の流れの中で、住民の生活の場も大きく様相を変えてきたのは事実でしょう。

ついでに、いくつかの二本榎の昔話をすれば...。
今、当時の写真のネガ(父の代からで、数十年前の...)のアーカイブを進めています。
昔の紙のフィルムホルダーを見ると「タニヤマ写真店」とあります。
高輪の台地の尾根を走る道の両側には、古くから寺社が並んでいましたが、その間を埋めるようにそれほど間口の広くない商店が並んでいました。タニヤマ写真店はその中程にある承教寺の山門の向かいにありました。今はマンションの敷地の一角ですが、一間ほどの間口の店舗でした。受験願書の写真もお世話になりましたが、おじさんはどうしたでしょう。
その先の芝信用金庫の脇には、夫婦で鞄を商ってらっしる店があり、畳敷きの帳場のようなところで修理もしていたように思います。ある時、その当時流行っていたジーンズ用の幅広の皮ベルトを捜して、お邪魔したことがありました。店を後にする際、たかだか生意気盛りの中学生でしかなかった私に、おばさんが、「ありがとう存じました」と声をかけてくれたのですが、初めて聞いた、その丁寧な言い回しに、なにか緊張したまま店を後にしたのを覚えています。それも二本榎での生活の息遣いだった。そうそう、今では想像もつきませんが、商店街の真ん中あたり、タニヤマ写真店のすぐ先に小さな映画館がありました。外側には円筒形のチケット売り場がありました。一度だけ、父に手を引かれて中に入ったことがあります。提灯が下がっていた二階の桟敷であったということと、上映していたのはたぶん時代劇であったことが記憶の片隅に残っています。丁度そのあたりだったと思いますが、車道の脇に、煉瓦敷きが顔を見せていたところがありました。
そんなことも、こんなことも今ではすべて幻影のようです。

だいぶ話しがずれましたが、バスは日吉坂を上って行きます。
ふと見上げると、白金台の丘の上に、
茶褐色の、「砦」のような建築物がそびえています。

(次回 建築探偵団;白金台の砦 後編に続く)

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