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2006年7月 2日 (日)

路地の風景*ランドマーク

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「高輪消防署二本榎出張所」
望楼の青いモニュメントは、1984(S59)年の改修時に設置された。
以前は、通信設備だったのか、簡単な鉄骨の構造物が建っていた。
あえて、批判を恐れず不確かな記憶を付け加えると、
そこには「ネオンサイン」のような「電飾」が付いていたように思う。
「火の用心」とか。
夜空に浮かび上がったような気がするのだが...。

二本榎通りの「ランドマーク」として、
よく取り上げられる「日本基督教団高輪教会」は、1932(S7)年、
目と鼻の先の「高輪消防署二本榎出張所」は、これに続く1933(S8)年の作品です。
また、現在は煉瓦色の新庁舎になっていますが、高輪警察署の旧庁舎は、RC3階で1930(S5)年に竣工しています。
その先の路地を右手に入れば、最終期の震災復興建築として名前を残す「高輪台小学校」が1935(S10)年に竣工しています。戦時中には、迷彩塗装をまとったこともありますが(写真でしか知りません(^^ゞ)、2005(H17)年3月には耐震工事などの長期の改修工事も竣工し、子供達の活気が戻っています。私の母校は、すべて記憶の中だけになったかと思っていましたが、小学校だけは生き長らえることになったようです。

時代は、1931(S6)年の満州事変に続き、翌年には上海事変、5.15事件、1936(S11)年には2.26事件、翌37(S12)年には廬溝橋事件から日中戦争に突き進んで行った動乱の時を迎えつつありましたが、大きく日本の舵が切られようとしていた時代に、新たな「ランドマーク」として、街の風景に加わったことになります。

「日本基督教団高輪教会」
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教会に向かって左側の数軒は、コップを伏せて「蓋」をしていたかのように、昔の家並みを残しています。教会と高野山東京別院に挟まれ、地上げの対象にはならなかったのでしょう。同じ外装を施しているところを見ると、貸家なのかもしれません。
しかし、教会に向かって右手の二本榎通り沿いは、大きく様相を変えました。二本榎商店街のはずれに位置していましたが、そこには商店が並び、生活の場があったことは事実です。

付言しますと、
高輪消防署二本榎出張所の、二本榎通りを挟んで西側には、現在、モノリスのような超高層マンションが屹立していますが、このような結果を見るまでには、バブルの傷口を残したままの10数年がありました。
商業資本と都市計画の相関関係が生み出した結果だとしても、このような高度利用を指向する都市計画があったとすれば、どのような将来ビジョンがあり、現在もその実現過程にあるのかが関心があるところです。
また、各地で行われた住居表示の実施によって、高輪でも、「二本榎」を初めとする「地名に託された歴史」が地図上からは抹消されました。数十年を経て、このモノリスが現出していることも、ひとつの結末なのでしょうか。

現実は、目の前にそびえていますが、そこに「街」があり、「生活の息吹き」があったことを、多少振り返ってみたいと思います。

「高輪消防署(当時)」の向かいには、地名の由来である榎の大木を門前で守っていたと言われる、「上行寺」(昭和37年に伊勢原に移転)がありました。
その跡地は、明治学院のグラウンドとして利用されていましたが、二本榎通りに面して、お屋敷のような立派な門が残されており、当時はそれが寺社の跡地であるとは想像もつきませんでした。子供心にも何か不思議なところでした。

上行寺の門前には、江戸時代から多くの町家が見られたわけですが、昭和の時代の商家や町家の様子をヴァーチャルに再現描写してみましょう。
現存する「フヂイテーラー」さん(中学校の詰め襟を注文し、箱入りの新しい制服を試着するのにわくわくしたのも思い出です。)の手前から交差点までには、蕎麦屋さん(「新月」蕎麦屋のカレーが好物でした。)、肉屋さん(屋号が思い出せないが、朝、通学の頃、七輪で仕込みのジャガイモを茹でていた。揚物を包んでくれた「経木」が懐かしい。最初の小遣いは、ここのコロッケに消えたのも私の歴史。)、旧上行寺敷地の門(この前に、全面ガラスではない、あの古いタイプの電話ボックスがあった...)、動物病院、八百屋さん、靴屋さん(中学校入学の際、初めて革靴を買って貰ったけれど、それは成長を見込んで買ったせいか、何とも大きすぎた(^^ゞ)、ケーキ屋さん(高輪警察署、消防署、明隣堂書店の交差点)等の商店があり、明治学院まで下る坂の途中にも喫茶店、荒物屋さん、外科医院、床屋さん(「平賀理容院」湯沸かし器が1台しかなく、洗髪は前掛けをしたまま移動した...)、電気屋さん(「近藤電気」)、福住家政婦紹介所(S8創業とのこと)、松坂屋カメラ、その他明治学院へ渡る歩道橋の足元には、何やら怪しげな店がありました。また、商家の脇の路地を入ると、そこには上行寺の敷地に通ずる空間に、普通の民家の生活がありました。

いずれも、今は消え去ったものばかりですが、高輪を訪れ、お約束で「高輪消防署二本榎出張所」をチェックすることがあるならば、目の前の「モノリス」を見上げ、ちょっとそんなことを想像してみるだけでも、街のイメージが広がるのではないでしょうか。そこにも二本榎の「生活の息吹」が溢れていたことを。(元住民、談 (^^ゞ)

長らく地域限定の話題で恐縮でした。
たくさん書きたいことがありますが、その一部は書けたような気がしますので、このあたりで、路地の風景(高輪編)は一段落とします。
準備ができたら、次は白金台の風景に触れてみます。

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コメント

コメントありがとうございます。

松坂屋カメラさんでは、当家もお世話になりました...(^^ゞ

あの一角というよりも、あの一帯は人の息遣いがある街であったというところが正しいかもしれませんが、現在は、屹立する無機質な高層マンションの敷地になっていますね。(詳細は本文のとおりですが)

そこに名目があるとしても、過去は断ち切られたわけですが、新たな人の流れがそこに生まれるだけなのかなとも思います。

ここだけではないかもしれませんが、歴史を抱えた街と人の息遣いという点から見ると、ケーキナイフで切り取られるように失われたものについては、多少複雑な心境でもあります。

投稿: landscape | 2008年7月 9日 (水) 07:47

明治学院の院に最近までおりました。
今はものすごく高いマンションが建ってますが,昔はいろんなお店があったんですね。
ちょうどカメラ屋を探してて松坂屋カメラという名を探し当て,現在は品川駅の南のほうにあることを突き止めました。

投稿: | 2008年7月 9日 (水) 02:52

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