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2006年7月30日 (日)

建築の風景;白金台の息遣い

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港区白金台に、「東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)」はあります。
地元の人には、「迎賓館」の方が通りがいいかも知れません。
そこは、幕末には松平讃岐守頼重の下屋敷がありましたが、維新後、海軍省や陸軍省の火薬庫を経て、1917(大正6)年には宮内省の白金御料地となっていました。その一部が朝香宮家に下賜されたのが、1921(大正10)年のことです。
1933(昭和8)年5月、その地に、アール・デコの意匠をまとった
「朝香宮邸」が誕生しました。

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建築の風景;高輪の息遣い4」では、「 それは、パリからノルマンディーに向かう国道13号線で、1923(大正12)年4月1日に起きた自動車事故をきっかけとして、ひとつの転機を迎えることになります。」と結びました。
それは、北白川宮家三代目である成久王の運転で、成久王本人の薨去(32歳)、房子妃と同乗の朝香宮鳩彦王が重傷を負ういう結末となりました。

北白川宮家については、先代である能久親王が1895(明治28)年に台湾で戦病死したことから、成久王に承継されており、成久王の薨去を受け14歳で承継した永久王も、1940(昭和15)年にモンゴルでの軍事演習中に事故死することになります。これを受け、後に「悲劇の宮家」と言われることになります。

朝香宮鳩彦王は、久邇宮朝彦親王の第8王子として、先に触れた東久邇宮稔彦王と兄弟にあたります。1906(明治39)年に19歳で宮家を創設し、1910(明治43)年に明治天皇第8皇女である允子内親王を宮妃に迎えます。婚姻後、後に東久邇宮稔彦王が戦災で麻布市兵衛町より転居することになる、高輪の御用邸に居を構えられました。
1922(大正11)年からはフランスに軍事留学され、翌年の事故に遭遇することとなりますが、療養介護のため允子妃も渡仏し、フランスでの長期の療養生活を余儀なくされました。
この一連の経緯が、夫妻のフランス文化、ひいては「アール・デコ」への傾倒の下地となっていると言われています。
1925(大正14)年7月8日、夫妻は、パリで開催中のアール・デコ博を見学され、同年末には、帰国されることになります。

やはり、長くなりましたので、もう一回です...(^^ゞ。

【追伸】 建築の風景;白金台の息遣い 2

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