« 路地の風景*手水鉢の「涼」 | トップページ | 路地の風景*時を繋ぐもの »

2006年9月 3日 (日)

建築の風景;白金台の息遣い 2

建築の風景;白金台の息遣い」では、「1925(大正14)年7月8日、
夫妻は、パリで開催中のアール・デコ博を見学され、同年末には、帰国されることになります。」と結びました。

Px08290058800

白金台に、「朝香宮邸」が出現するまでの主な役者は、施主である朝香宮鳩彦王、内匠寮の権藤要吉技師(朝香宮御夫妻とは別に、閉幕間近のアール・デコ博に視察に出向いている)、アンリ・ラパン(装飾美術家協会副会長としてアール・デコ博の開催に力を尽くす)の3人が挙げられますが、ガラス工芸作家のルネ・ラリックも重要な位置を占めることになります。

その基本設計については、アンリ・ラパンの名前も上がりますが、
藤森照信氏の「アール・デコの館」よれば、実際は、邸内7室ほどの内装デザインが中心で、鳩彦王と内匠寮による基本計画を下敷きに、ラパンと内匠寮とで纏められたと推測されています。記録上に初めて現れるのは、1929(昭和4)年6月のこと。
その後、内匠寮による実施設計が進められ、1931(昭和6年)年4月に着工、1933(昭和8)年5月に竣工しています。

時代背景としては、着工年には、柳条溝事件を発端とする満州事変が勃発しており、竣工年には、満州事変に対するリットン報告書の採択に反対し、日本は国際連盟を脱退しています。軍部の独走が国際関係を緊張させて行く中、そこには別な世界があったようですね。

また、1933(昭和8)年11月、允子妃が他界されることになりますが、それは、1923(大正12)年にフランスで起きた交通事故をひとつの「転機」として、その10年の後、鳩彦王との夢を「アール・デコの館」として目に見える形に纏め上げてから、半年の後のことでした。

今回は朝香宮邸の「竣工」までにスポットを当てましたが、「戦後」の経緯もひとつの柱となりますので、次回、触れてみることにします。

Px08290048800 Px08290019800
Px08290009800_2
Px08290036800 Px08290037800

見所といえば、それは建物全体なのかもしれません。
玄関先では、まず、ルネ・ラリックの女性像のガラス・レリーフに目を奪われます。そして、その無言で主張するものから、邸内の世界を推し量ることになります。
特に1階は外部からの賓客を意識した華麗な意匠を見せてくれますが、家族での食事、団欒のために利用されたとされる南西角の「小食堂」の存在は、宮邸としての別の表情を感じることが出来ます。(前庭側から、そのテラス越しに、大客室、大食堂とは違う表情を見ることがもできる)
また、2階の家族のプライベート空間は違う世界があります。
照明器具や、ラジエターグリル、扉のノブにまで凝らしてある意匠は、やはりひとつの世界を醸し出していると言えるでしょう。

_image0003

邸内の具体的な「解説」は、藤森照信氏の「アール・デコの館」に詳しいのですが、可能であれば、直接訪れてご覧になることをおすすめしたいと思います。邸内の保存状態もよく、修復も無理のない範囲で行われていますので、往時の雰囲気を感じることが出来ます。

**掲載の写真は、去る8月31日まで1週間程行われていた、夜間特別公開で収穫してきたものです。普段は「撮影NG」ですが、10月1日までは「特別」に許してくれる(一部例外あり)そうです。その件で「ひと言」云いたい方(「私も」)が多かったようで、「ご要望に応えて」だそうです。ともかく、9月中に昼間にぜひ、もう一回、出没しようと目論んでおります...(^^ゞ

【追伸】建築の風景;白金台の息遣い 3

≪注≫ 藤森照信氏「アール・デコの館」、猪瀬直樹「ミカドの肖像」、東京都庭園美術館を初めとする、その他関連HP等を参照させて戴きました。

|

« 路地の風景*手水鉢の「涼」 | トップページ | 路地の風景*時を繋ぐもの »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/152557/11727539

この記事へのトラックバック一覧です: 建築の風景;白金台の息遣い 2 :

« 路地の風景*手水鉢の「涼」 | トップページ | 路地の風景*時を繋ぐもの »