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2006年9月17日 (日)

雑感*ハンドルの重み

飲酒運転に纏わる、多くの悲劇的な事故の報道が後を絶ちません。
先頃の、福岡での幼児3人が巻き添えになった悲劇にあっては、
今更ながら、覚醒させられたドライバーも少なくないでしょう。

根底に、日本人の飲酒に纏わる寛容さを、その「文化」として感じざるを得ませんが、引き起こされる「惨劇」を目の当たりにし、現実を直視するべきでしょう。
とりわけ、「酒量に関する過信、思い上がり」は、年齢、体調、疲労度によって打ち砕かれるものであることは明らかであり、「引き起こされる現実」は(「被害者」を生んだことは)、本来、「損害保険」では取り返しが付かないものであることを含めて。

また、「危険運転致死傷罪」の適用についても、立件に困難が云われる中、他の刑罰との格差が卑劣な隠蔽工作を招いているとの報道もあります。

このような「精神文化」を前提にすれば、啓蒙活動や、時限的な取り締まり強化だけでは、飲酒運転事故の本質的な「抑止力」には欠けるものがあります。

そのためには、「飲酒」若しくは「運転」を控えるという「社会的要請」が存在する場面において、これを無視して引き起こした「結末(人身事故)の重さ」は、「自己の社会生活を擲つことと等しい重罰」をもってしかあがなえない(あるいは、もってしてもあがなえない)ものであるとの認識が、一般国民に醸成されることが重要であると考えます。
そのための、現実的な枠組みとして、勤務先等での飲酒運転に関する「懲戒事由」の整備も進んでいるようですが、刑罰法規(行政罰も含め)の見直し、重罰化よって、国としての「メッセージ」を発することも急務と言えるでしょう。

現法務大臣の、「重罰化だけでは...」との発言が報道されましたが、この現実を前に、その真意は計りがたいものがあります。

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