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2006年10月29日 (日)

雑感*教え育むことの重さ 2

学校生活の場の出来事をきっかけとして、子供達が、自ら命を絶つに至った事件の報道が続きました。
また、これらの報道の影に、やはり道を見失い、命を絶ってしまった子供の存在が数多くあるのも、多くの人が知るところとなりました。

何か、おかしい...
「いじめ」が、その原因であるか否かについて、教育現場やその管理者側で、その「因果関係の有無」について、否定的、懐疑的に断定しようとする論調があります。

このような事態を繰り返さないためにも、
「いじめ」がその原因であったかどうかという文科省基準の「認定」や統計上の問題ではなく、そこに、その子供達の「尊厳」や「生命・身体」を傷つける行為が「存在」していたこと、輻輳する原因があったとしても、それがその「きっかけ」となり得たこと、そして、これから多くの経験の中で社会適応能力を涵養していくべき子供達が、結果として、社会から救われることなく「自ら命を絶つに至った」という事実を、
真摯に受け止めることが求められているのではないでしょうか。

行政の、子供達向けのいじめ相談のポスターに、「あなたの味方です」という文言がありましたが、このような状況の下で、「因果関係が不明である」と突き放す「教育現場」においては、道を見失い、行き場を失った子供達の声なき声は、誰に届くのでしょう。

家庭や、社会の役割も重要なことは言うまでもありませんが、学校教育の場においては、子供の生命を守り、尊重するというメッセージを子供達に伝えることが、その最終的な職責であり、教育現場において、その実践が問われているところであると考えます。

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