« 祭りの風景*2006川越 | トップページ | 祭りの風景*祭りの娘そして童 »

2006年10月17日 (火)

雑感*教え育むことの重さ

社会生活の場であるはずの学校生活を送っている子供達が、
自ら命を絶つことになった事件の報道が続きました。

輻輳する原因を特定することは簡単ではないかも知れませんが、
どんな状況に遭遇していたにせよ、孤立感の中で活路を見いだせなくなった子供達に、手を差し伸べなければならなかったはずであるし、出来なかったことの現実に、気持ちが重くなります。

教育現場のことに多くを語る立場にはありませんが、現在の現場に何を期待すべきか、また、何が期待できるのかを考えるとき、確信をもった答えを用意できないのは何故なのかと考えます。
それは、少なくとも教育現場としての学校の外側からは、教育とはかけ離れた管理主義の衣しか見えないことからかもしれません。

常に悩む教師像も伝えられるところですが、片や、個々の子供を見る意欲を失い、ただ、与えられた枠組みの中で、教育現場における強者と弱者という関係に依存し、顧みることもなく日常を過ごしている教師や学校管理者の存在は皆無だろうか、また、顕在化しないまま日常が過ぎているのではないか、そういう疑念を抱かざるを得ない現実があります。

言うまでもなく、教育の現場で「子供達の前に立つ」者の存在は、
在校時はもちろんのこと、程度の差こそあれ、その後の人生に対しても大きな影響力と責任があります。
そこでは、どんな形にせよ、子供達に対し、「尊厳」をもって生きていくことを保証していくことが、何にも代え難い、最終的な社会的要請として求められているはずです。
少なくとも、今、誰の責任かはともかくとしても、行き場を失い、人知れず「彷徨」している子供達がいるという現実の中で。

|

« 祭りの風景*2006川越 | トップページ | 祭りの風景*祭りの娘そして童 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/152557/12316840

この記事へのトラックバック一覧です: 雑感*教え育むことの重さ:

« 祭りの風景*2006川越 | トップページ | 祭りの風景*祭りの娘そして童 »