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2006年10月20日 (金)

路地の風景*浅草ディープ

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「浅草ディープ」

川越まつりも終わりましたので、浅草歩きの続きを少し...(^^ゞ

松屋のビルがほんの目と鼻の先の「新仲見世」の商店街一角に、
「浅草地下街入口(地下鉄銀座線)」という電飾が頭上についた、
狭い階段の降り口があります。
階段を降り左に折れると、そこには、地上の世界とは流れる時のスピードがどうも違うような、ディープな空間があります。

昭和28年完成との紹介記事がありましたが、お店の入れ替わりはあったのでしょうけれども、その空間の風景は昔のままです。以前は感じられた、朽ちた地下街の雰囲気というか、ウェットな空気感が薄れているようですね。きれいになったように思います。

地下街の階段と「タイムスリップ」って、小説のテーマに馴染む組み合わせですが、階段を降りていく自分が、そこに現れる空間に何かを期待をしているのが分かります。

ここで、話題はもう一度、地上に戻りますが、
今回、思わず、「あーあっ」と唸ってしまったことがあります。
何かと言いますと、銀座線浅草駅の1番出入口(雷門、仲見世口)に立つ雷門ビルが消えていました。

昭和4年10月1日に竣工した、当時、東京地下鐵道株式会社が
副業として初めて取り組んだ商業ビルでした(上野浅草間の開業は昭和2年12月30日)。
その描写を「東京地下鐵道史-乾編-」から引用してみますと、
「雷門直營食堂を開業した。その經営については、範を阪急食堂に則り、内外共に完備せる科學的施設をなし、料理の佳美と低廉とは、都下食堂経営者の先驅として異彩を放ち、忽ち淺草の一名所となった。」とのことです。

まずは、副業として、浅草寺の門前という土地柄から、地下鉄出入口を生かした食堂経営を試みたということですね。その後、地下鉄チェーンストア展開のきっかけとなりました。
現在、私たちが訪れる機会もなく(1番出入口は別として)、その意味では価値がありませんでしたが、繰り返される営みの中で、またひとつ歴史の証人が、時の波の中に消えていったとうい感慨にも似たものでしょうか。

(浅草*浅草地下街の片隅にて)

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コメント

>品川の男さん
どうもです。
浅草駅の整備計画が進捗しているらしいですね。
日比谷の三信ビル、丸ノ内の丸の内八重洲ビル等の取り壊しが話題に登る中、人知れず消えていく歴史の証人がいますね。
可能であれば、写真の上だけの記憶になる前に、その建築物から、そこを舞台に活躍した人々の思いや、息遣いを感じておきたいものです。

投稿: landscape | 2006年10月24日 (火) 19:23

雷門ビルがなくなってしまったのですか。
以前、仕事で何回か浅草に行きましたが、そのたびに前を通っておりました。
昭和も遠くなりにけりという感じです。
この手の建物は、保存運動すら起きることなく、あっさりと取り壊されてしまうのが、なんとも残念です。

投稿: 品川の男 | 2006年10月24日 (火) 12:23

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