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2007年1月 7日 (日)

建築の風景*高輪の幻影

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昨年11月に、「路地の風景*またしても高輪へ」の中で記事の予告しましたが、なかなか難産で、どうにか欲張らずにまとめてみることにしました。

先に、「建築の風景*高輪の息遣い1~6」として、いろいろな考察、論証を試みてみましたが、その大きな柱であるJR品川駅前の旧高輪南町の御用邸、旧竹田宮邸、旧北白川宮邸の成り立ちから変遷は、歴史の事実というよりも、明治から昭和に掛けての、つい最近までの「高輪の息遣い」であったと言えるかもしれません。

現在、ホテルパシィフィック東京の敷地となっている土地は、戦後、最後の住人として東久邇宮稔彦王が居住されていた御用邸の敷地であった土地の大きな部分を占めています。
その背後には、道を隔てて(品川税務署脇に通ずる)、現在、鬱蒼と樹木が繁茂した、公園として管理される一角があります。(写真↑)

戦後の写真資料から推測しますと、ホテルパシィフィック東京の敷地の一部からこの一角に掛けて、御用邸の建築物が存在したものと思われます。(そう断定する自分も怖いけれど、何ともそう思えるのも事実で...(^^ゞ)

*その後の、西武鉄道、京浜急行を主役とした、変遷の歴史は、猪瀬直樹氏の「ミカドの肖像」に詳しい。

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以上の推論の出発点は、この一角で撮影した、この写真にあります(*クリックして拡大して下さいね)
僅かな確証の下にここを訪れ、初めてこの風景を見てから、何回か足をはこぶこととなりました。

組まれている大小の石は、海や川のもの混ざっているようですが、明らかに「造園」を目的に配置されています。
次回に触れますが、上部には自然石で組まれた水路の様なものが続いて見られ、高低差を考えた落水が仕組まれていたことが伺われます。

誰のための、いつ頃の造園でしょうか。

当然、御用邸の庭園の外縁であったことが想像されますが、御用邸以前には、かつて勝海舟と西郷隆盛の会談の舞台にもなった薩摩藩下屋敷があったことが知られています。
家屋の配置等の材料はありませんが、大名屋敷の築山の名残である可能性も、内心捨てきれません。
一部にモルタルの様なものが使用されているのが、年代的に気に掛かりますが、周りの樹木の様子等からも、近年のものであるとは思えません。

この、巨大なホテル開発地区の真ん中で、その開発から取り残された(経緯からしても、あたかも最初から取り分けられたような...)、鬱蒼とした樹木に被われたこの一角の前に立つと、そこには、
無言で語りかけてくる歴史があるように思えてなりません。

(もう少し詳しい描写は「その2」で予定します。)

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【NEWS】
2007年1月1日より、写真中心のギャラリーとしての試みで、「風の休日」を開店しました。(http://landscapes.cocolog-nifty.com/

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