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2007年4月10日 (火)

建築の風景*目白台の息遣い

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先に、桜の見頃にあたっていた頃、神田川堤沿いにその風景を見て歩きました。

その途中、神田川に架かる駒塚橋袂の関口芭蕉庵の脇から、目白通りに向かって胸突坂を登ると、坂を登り切ったあたりで左手に、「永青文庫」の入口が現れます。名前だけは聞いていましたが、来歴は知らず、初めて訪れました。

かつて、目白通りから神田川にかけては、3万8千坪の敷地を誇る、肥後熊本藩主細川家の抱屋敷がありました。(明治以後は細川侯爵邸として和・洋館を備えた歴史がある)
「永青文庫」の建物は、旧細川侯爵家の家政所(事務所)として、昭和初期に建築されたものであるとのことですが、その建物と敷地内に漂う空気から、展示物はさておき(恐縮ながら)、建物探訪のため、入館料を支払って湿った空気が漂う館内に入りました。
建物は事務棟と書庫を連結したような構成で、その一部が展示スペースとなっています。
改修は最低限に押さえてあり、当時の空気感が残っているように感じられます。現役で、用途に供されている同時期の建物物としては珍しくなりつつあるでしょう。手前に、別棟の書庫らしき建物もあり、当時の華族としての経営の一端を垣間見ることができるようです。

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道を隔てた向こう側には、塀の向こう側に、何やら気になる和館の瓦屋根が連なっているのが見えています。目白通り方向に歩みを進めると、「蕉雨園」と記された入口がありますが、公開はされていないようです。
この屋敷の来歴を確認しますと、土佐藩出身の尊王の武士で、維新後、学習院院長、警視総監、宮内大臣を歴任した田中光顕氏の旧宅で、1897(M30)年の建築であることが分かります。
同氏は建築に大変造詣が深く、また、あえて当時の洋館や和洋館の流れではなく、和風建築にこだわった邸宅であるとの指摘もありますが、是非とも、内部を拝見してみたいものです...(^^ゞ

また、「永青文庫」の隣接地には、「旧細川侯爵邸」が、1955(S30)年に同地を買収した(財)和敬塾の本館として保存されています。(但し、明治期の洋館は関東大震災で破損の後、取り壊され、1936(S11)年の末に再築竣工したもの。見学には手続きが必要です。)
戦後、米軍の接収を受けたことが知られていますが、他の華族邸の例にもあるように、西武鉄道によって「ホテル細川」としての営業が行われた歴史もあり、歴史の潮流に洗われながらもその姿をとどめていることは、興味深いところです。

**H.FUKさんの「西武鉄道の歴史(個人邸趣味です)」他、旧細川侯爵邸の修理に関する記述など、関連HPの記述を参照させて戴きました**

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