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2008年8月25日 (月)

二本榎の系譜 その2*アーカイブス

8月も月末ですが、思いがけずに涼しい日が続いています。
先日、高輪関係の話題にいろいろとコメントを頂きました。それで、少し気になっていましたので、昔の風景を残した写真を発掘してみました。あまり、古いものではなく、中途半端なのですが、昔の空気感は感じられるかもしれません。
120%ローカルな話題ですけれど、流れということで...(^^ゞ

今回の写真は、旧高松宮邸に隣接していた高輪アパートの再開発が行われる前のものですので、再開発された高輪一丁目アパートが現れるのが1993年ということなので、少なくとも、その前のものではあります。(クリックで拡大)

Image_nihonenoki0004e 先の二本榎の系譜のコメントにおいて、不確かなイメージながら、フタバ薬局のファサードに卯建の記憶があると書きましたが、確かに不確かであって、トントンさんのコメントにあったご指摘のとおり、看板建築であることが分かります。
どうも、川越の風景と交錯しているところがあったようです...(^^ゞ)
それにしても、この頃の空は広いなあと思える...。

Image_nihonenoki0002e 写真正面のとらや の脇に旧高輪アパートが残っています。戦後の混乱期、初めてのRC造の公共集合住宅として建築されたもの。1948年に2棟、1949年に7棟竣工したものですが、最初の2棟には関連分野の専門家が試験入居し、居住環境としての調査が行われたとのこと。そんな評価の高さから、調査の結果が残された上で再開発され、、現在の高層化された高輪一丁目アパートが1993年に現れることになりました。

Image_nihonenoki00010001e もう少し、引きの写真ですが、右側に柳の木(?)があります。現在は東海大学の関連学校施設が整備され、何もなくなっていますね。(Googleのストリートビューを試してみましたが、恐るべし...)
八百屋さんが1軒頑張っていましたが、移られたようです。その周囲にも商店があったことはもちろんのことですが。

Image_nihonenoki0005e 高輪消防署前から二本榎商店街を望む。まだ、二本榎出張所ではない頃です。
写真左側に、マンション敷地として消えた商店が一部残っている。旧上行寺の門前あたり。新月さんが残っているようだ。そば屋さんの看板が見えている...。

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コメント

トントンさん、フォローありがとうございます。
充実した休日になりました。
・ガソリンスタンドの件、私の表現が舌足らずでしたが、ご説明戴いた趣旨についてはよく分かりました。街道沿いに連なった、寺社の門前に古くから連なる二本榎の商家や町屋の町並みの移り変わりは、ゆっくりとした時間の歩みの中にあったことがイメージされますが、その頃の町並みがどこかに記録されていないものかとも思います。
・交番裏のマーケットについては、交番の左右に入り口があったとのご指摘には驚きましたが、確認できました。昭和42年に港区が配布した住宅地図がありますが(住居表示の実施に伴う新旧対照のため)、ご指摘のとおりですね。その左側の部分のイメージが強かったようです。「右の入口の右角が本屋さん」については、その存在が何かしら記憶にあるのですが、内部で繋がっていたことは全く記憶にありませんでした。少年時代、その奥には出没しなかったものと思われます。
・無くなってから驚いても遅いと悔やんでおりますが、高輪台小学校の来歴には「昭和10年3月25日 臺町、高輪両小学校合併、東京市高輪臺尋常小学校と命名」とあります。二本榎商店街から、やや下る路地の奥にあった、あの古びた建築物が 旧臺町小学校ゆかりの校舎であったとは驚きでした。

投稿: landscape | 2008年9月16日 (火) 01:21

 ちょっと私の書き方が悪かったようです。ガソリンスタンドはその油屋さんの経営だったと思います。池田屋さん(油屋)は今となっては確認は出来ませんが「まんとよさん」と同様に相当古くもしかすると江戸時代までさかのぼると思います。
 交番裏のマーケットは交番の左右に入口があり右の入口の右角が本屋さん、左角が八百屋さんで、左側入口の左角に食料品の小規模スーパーがありました。中の方はよく覚えていません。おしゃるように天神坂上は昔は賑やかで昭和30年代半ばまではパチンコ屋もありました。
 さて、続けて三枚目の写真、今は東海大に浸食されてしまった所ですが、最後まで残っていた八百屋さんは「八百国」で不動産屋の看板のある角から左二軒目ですね。 そしてこの角から入った正面が高輪台小に統合される前の「旧台町小学校」の跡地で随分後まで東海大が木造校舎の一部を使っていました。ちなみに東海大高輪台高校は山本権兵衛大将(総理)の屋敷跡です。
 本当にここまで無くなってしまったかと残念ですが通りの反対側はストリートビューを見る限りは餅菓子屋、荒物屋、お茶屋、豆腐屋あたりは昔の店が残っているようで、特にお茶屋さん(川上園)あたりは銅板の看板建築で、昔はほうじ茶を炒る香りが香ばしく漂っていました。

投稿: トントン | 2008年9月15日 (月) 23:17

トントンさん 続けてフォローを戴きありがとうございます。
大変嬉しく思っております。
・さて、ガソリンスタンドの件につきましては、油屋さんの跡地というのも因縁めいています。そのあたりは、私にはリアルタイムではなさそうですが、そんな風情の商店街であったことがイメージできます。
・高輪アパートは、調査研究レポート等でも間取りを目にすることもできますが、その中に友人宅もあり、その生活を垣間見ることができました。また、今は建て替えられていますが、高松宮邸脇(桜田通り沿い)に港区役所の高輪支所があり、団地の中を通り抜け、その最上階に設えてあった図書館(室)によく通ったのも思い出です。
・岡田信一郎の虎屋本店(S7)は、現存するとらやと比べやや垂直性が意識されたようなデザインですが、その遺伝子を譲り受けたとすれば、これを消化し、現在でもその存在に違和感を感じさせません。坂上のランドマークとして悪くないなあと思います。その角を曲がるのが、高松中学校へ向かう通学路でしたが、その存在が何かに置き換わることは想像ができませんね。
・向かいの交番脇の大木は、何となく記憶に残っています。また、その脇には小さな商店が集まったようなマーケットがあったのも歴史でしょうか。天神坂上には確かに賑わいがありました。その生活の息遣いが、どこか脳裏に残っていますが、それでいいのでしょうね。

投稿: landscape | 2008年9月15日 (月) 16:25

ちょっと間が空いてしまいました。
 映画館は高輪台小の屋上から見た記憶だけがありますがあのあたりでは特に大きく見えました。いつまで営業していたのか私も知りません。
 郵便局の並びのガソリンスタンドは子供のころは蔵を店にしていたような記憶があり池田屋さんと言う油屋さんで、その後ガソリンスタンドになりました。
 さて、「とらや」が写っている写真ですが、高輪アパートは敷地中央が大きく空いていて公園と空き地になっていて野球をしたり良い遊び場でした。
「とらや」は赤坂の虎屋とは無関係なのですが、現在の建物は岡田信一郎の虎屋本店(S7)をまねて改装したようです。まねとは言え本家は無いし既に数十年経っていますので、街のランドマークとしてもう少し頑張ってほしいと思います。とらやの向かい天神坂のどんつきには交番があり傍らに大きな木が立っていてリスが住んでいて(昭和40年頃まで?)電線を伝って高輪アパートの方と行き来していました。アパートの木もその頃までは大きなのが在り、夜近くを通ると時折「このはずく?」の鳴くのが聞こえました。やはり東京オリンピックのころが色々な自然条件が変わったときなのでしょう。

投稿: トントン | 2008年9月14日 (日) 23:01

トントンさん コメントありがとうございます。もう少し古い写真があったような気もしたのですが、これもまた不確かで...(¨;)いずれにしても、現在の風景は、ストリートビューがあるということで。

・高輪二郵便局という響きも、二本榎の記憶の重要なパーツかもしれません。その存在が変わらないものとして。
 また、その向かいには小さな映画館があったのも幻影のようです。戦前のニュース映画館だったのでしょうか、現役時代は知りませんが、駐車場に変わるまでの間、人気のない廃墟のようでした。そのファサードには円形に張り出したチケット売り場があったような気がします。
・高輪二局の隣は時計屋さんでしたね。写真を発掘して思い出しました。その隣はガソリンスタンド。転出時には、営業していなかったような気がします。
・小寺醤油店のファサードは、江戸東京たてもの園のHPでを確認しました。「萬豊」は、現在、マンションが建っているところですね。店名が「まんとよ食品」と残っていますが(ストリートビュー恐るべし...)、袖蔵を見ることができたのですね。

投稿: landscape | 2008年9月 6日 (土) 00:43

ご無沙汰しています。先の「卯建」の時にコメントしようとしたのですが、ストリートビューをちょっとのぞいたところ全くと言っていいほど知らない街になっていたので気おくれしてしまいしませんでした。
 昔の写真を見させて頂きましたので一枚ずつ記憶していることを書かしていただきます。
「二葉薬局」の写真
 青テントに穴が開いているところが観音開きの窓があったところです。赤門の入口をはさんで高輪二郵便局、戦前の三等郵便局でこの建物は確証はありませんがカウンター前が極端に狭くて戦前の建物だと思います。さらに左隣は時計屋さん(英賞堂?)でしょうか?元は何軒か間口の狭い店が並んでいて町屋の造りだったのではないかと思います。(看板などで隠れていました)
 ところで卯建ではないのですが子供のころ程度の良い町屋が残っていたのは東海大の前あたり、光台院の入口右角にある「萬豊」(まんとよ)で町屋の右側に妻を見せた蔵が建っていました。小寺醤油店とかと同じような感じだったと思います。

投稿: トントン | 2008年9月 5日 (金) 22:06

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