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2008年11月 9日 (日)

九段下*震災復興の記憶

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11月1日の散歩は、目白台の坂道を押さえた後に、早稲田から東西線で九段下へ。
ここから、目的の神保町の古本市までは目と鼻の先なので、地上に出て古本屋街を目指します。

九段下ビル(↑)は、その途中にあります。というよりは、まだ在りました。その前を通りかかる度に思いますが、通り過ぎながら、どこか安心している自分がいるような気もします。そんな場所がいくつかあります。

この機会に背景を、資料から再度確認してみました。
竣工1927年(昭和2年)8月、設計は南省吾、震災復興期の建築のひとつですね。当時の姿を止める貴重な痕跡と言えるでしょう。
震災復興においては、帝都復興院の流れをくむ復興局が主体でしたが、九段下ビル(旧今川小路協同建築)には東京市、横浜市と民間の共同運営により実現した復興建築助成株式会社が関与しています。
震災復興期において、都市の耐火耐震建築の促進、土地の有効利用の促進の観点から、「共同建築」が促進されましたが、それは商店建築から始まりました。
具体的には、今川小路共同建築は1階に店舗、2階には各戸内の階段で繋がる居室を配し、2箇所の独立した共有階段で上がる3階は貸室として設定されていました。
復興局からの補助金と復興建築助成株式会社の割賦販売方式による助成という枠組みの下で、施主8名での実行となりましたが、その他のケースにおいては、更に小規模で、共同建築については多くの実績を挙げるには至らなかったということです。

九段下ビル(旧今川小路協同建築)は81年目を経過しました。

*参照資料*「復興建築助成株式会社による関東大震災復興期の『共同建築』の復興プロセスと空間構成に関する研究」(佰木まどか・伊藤裕久)

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