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2009年11月 7日 (土)

高輪*アーカイブス 品川駅前にて

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昭和42年(1967)の「新住居表示」により、芝二本榎町、芝君塚町、下高輪西台町、芝白金丹波町、芝車町、芝高輪北町、芝高輪南町、芝高輪台町などの全域と、芝伊皿子町、芝二本榎西町、芝白金猿町などの各一部が大合併し、現在の「高輪」となりました。(「港区ポータルサイト」より)

その際、港区役所より各戸に配布された地図から引用します。

地図上で変わらぬ街角はあっても、ケーキナイフで切り取られたような街角もありますが、少し前、品川駅前のホテルパシフィック東京(昭和46年開業)が、来年9月末日をもって「休館」(ホテル発表)するとの報道がありましたので、周辺を振り返ってみます。

地図上は、ホテルパシフィック東京の開業前の品川駅前が投影されています。現在のホテルパシフィック東京の敷地には、旧南町御用邸内の周回道路(と思われる)がプロットされています。ホテルパシフィック東京の母体となる京浜急行電鉄と、国が境界を設ける前であることが分かります。

この敷地の西端と北端には、西武鉄道が戦後まもなく関与した旧北白川宮邸、竹田宮邸(一部を転用したプリンスホテルが昭和28に開業)が残っていました。また、広大な敷地を転用したゴルフ練習場があったのも、その紆余曲折を物語っていました。

道を隔てた南側の角地には、京浜急行電鉄旧本社ビル(大正14年3月11日に「旧高輪停留場」として開業)がプロットされています。ネット上で当時の姿を見ることができますが、ステーションビルの走りといわれ、櫛形ホームでターミナルビルの1階と2階に商店があったそうです。子供の眼には、歴史を纏い周囲を拒絶するような空間にも見えました。品川駅前より柘榴坂を上がる角には小さな郵便局が入っていて、そこには入ったことがあるような気もするのだけれど、勘違いかな。

北品川から、八ツ山橋を渡った京浜電気鉄道(京浜急行電鉄の前身)の路面電車が、市電との乗り入れを実現するとともに、路上を横切り、当時の高輪駅に吸い込まれていったのは、大正も末のこと。昭和8年4月には現在のJR側の駅舎に役割を譲り、その駅舎としての役割を終えています。私の記憶は、ずっと後世のことであります。

品川駅前の北側の線路際には、細かな建物が密集していましたが、現在は再開発ビルの敷地となっています。そこは、駅前の飲食店や商店が集まった一角でした。その昔、両親とその一角にあったラーメン屋さんに入ったことが、不思議に鮮明な記憶です。

*H.FUKさんのH.P「西武グループの歴史」、猪瀬直樹氏の「ミカドの肖像」を参照しています。

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