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2011年1月 1日 (土)

年越しの雑感のつもりで

大晦日には、やはり1年を振り返るつもりでしたが。
年末年始に脈絡はないものの、豊かな気持ちで過ごした頃を思い出し、記事にすることにしました。幼少期から成人を迎えるまで過ごした高輪での記憶については、過去の記事にもしていますが、ここで、再び描写してみたいと思います。

幼少期には、食の記憶が特に鮮やかである。
そんな気がします。

現在の高輪消防署二本榎木出張所、私がその前を通って通学したころは、「高輪消防署」でしたが、通りを隔てたその向こう側には、現在、高層マンションの前庭がオープンスペースとして広がっています。

そこは、かつて上行寺という寺の境内が中核を占め、その周囲には商店や町屋が軒を並べていました。上行寺が転出した後は(門だけは残っていた)、空き地としてグラウンドになっていましたが、周囲の町屋を含め、そのほとんどが高層マンションの敷地となりました。

高輪消防署(当時)に面したその門の脇には、屋号は思い出せませんが、小さな肉屋さんが商っていました。そのもう一軒北側までが、現在オープンスペースとなっています。新月さんという蕎麦屋さんでしたが、別稿で触れたいと思います。肉屋さんのファサードには、タイル張りの土台の上に、冷蔵ケースがL字型にレイアウトされ、商品を受け渡しする小窓がありました。小窓の脇には箱入りのカレーのルーがあったりして、これは、当時の肉屋さんの定番であったろうと思います。そして、その奥のタイル張りの壁には、大きな取っ手の付いた冷蔵庫の扉が目を引きました。

お使いで出向くことがあると、子供心に高揚感がありました。現在のようなパック詰めでは置いてあるわけもなく、すべて目方か個数で注文しますが、冷蔵ケースの中に、「肉屋さんのポテトサラダ」がホウロウ引きのトレイに盛られているのも目を引いたし、それが、お使いのメモ書きに入っている時は、特別な機会である様な気がしました。

子供心に大いに関心を注いだのは、コロッケやメンチカツなどの揚げ物でした。壁には、カレンダーの裏紙のような紙に、手書きでコロッケ、メンチカツ、ロースカツの値段が張ってありましたが、コロッケは間違いなく10円でした。冷蔵ケースの外側の土間には、大きな油鍋を乗せたコンロがあり、テーブルの引き出しには小麦粉とパン粉が入っていました。玉子はどうしていたのか、よく思い出せません。その都度、おかみさんがパッドを持ってきたような気もする。鍋の油は100%ラードであったと思います。まれに、テーブルの下の一斗缶から、ラードをすくって鍋に足す風景にも遭遇しましたが、日によっては鍋がすっかり冷め、真っ白にラードが固まっており、注文を受けてから火が入った鍋の油が、徐々に半透明になっていくのを見ていました。

コロッケのネタはウインドウの内側にある大きな冷蔵庫に仕舞ってあったようで、注文すると、割烹着を着たおかみさんが、冷蔵庫の大きな扉を開け、コロッケのネタが整然と並んだトレイを取り出してきました。後は油鍋の横で、初めてそこでパン粉の衣を付け、揚げに入ります。メンチや、トンカツも同様だったと思います。トンカツは、注文の都度、おじさんがロースを切り分けていたような気がします。揚がった後は、薄い経木にくるみ(素材は杉だと思っていましたが赤松が向いているらしい)、やはり、同じ素材の経木ひもでくくります。揚げたてのラードの香りは鼻孔をくすぐり、気持ちはすでに、包みを開く食卓に向かっていました。最後に薄い緑色の包装紙にくるんでお仕舞いです。保温のためか、新聞紙にくるんでくれたような気もするのですが、今となっては定かではありません。

何歳か、あるいは何時の頃かも覚えていませんが、初めての小遣いは、この店で10円のコロッケを買ったのが私の歴史です。店のおかみさんは優しくて、途中でおやつに食べるのならばということで、「ソース掛ける?」と声を掛けてくれたことも覚えています。

その肉屋さんの前を通り、小学校から、中学まで通学していましたが、朝の通学時、店先で七輪の上にお釜を掛けて、ジャガイモを炊いているのも街の風景でした。

今考えれば、街全体が生活の場であったし、私の記憶の彩りであることは間違いありません。

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