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2011年5月 5日 (木)

雑感*陰影のある日常*東日本大震災5

震災の余波は、莫大な電力を消費する日常に、確実に変革を強いている。そして、今、エネルギー政策の根幹をなしていた原子力発電の位置付けを、問い直されている。産業政策から、その電源需要を説き起こし、その役割を語ることは、これまで十二分に行われてきたであろうし、そのひとつの帰結が現状なのだろう。

しかしながら、今ひとつ気づいたこともある。これまで、莫大な電力を消費して、至るところで必要以上の「照度」が確保され、いささか露出オーバーの白飛び気味の光景に疑問を抱くことはなかった。今、周囲を見回すと「節電」は、至るところに「陰影のある日常」を生んだ。ただの薄暗がりは「後退」「停滞」をイメージさせるが、いささか不器用に照度を落としてある場面においても、物の「質感」や「色」がよりリアルに感ずることがあるのは不思議なことでもある。これまでに莫大な電力を費やして与えられた環境のすべてが、発展の果実として、実生活において必要不可欠のものになっているとも思えない。しかしながら、電力の消費という尺度で測られる経済活動が、我が国の経済発展の基礎であるならば、将来の国の姿を展望し、これらを支えるエネルギー政策において、何処に軸足を置くべきかの選択は確実に迫られている。

原子力は「神の火」なのかもしれない、人の歴史は、神の領域に手を伸ばすことによって進歩を手にしてきたのかも知れない。しかしながら、テクノロジーがすでに存在していても、システムとしてそれを運用するためのスキーム、、行政のプロセスに、合目的的な結論を得るためには障害となる欠陥を内包することが必然であるならば、「神の火」は、未だ制御するに至っていないことを、改めて実感した。

いずれ、人は「神の火」を手にするかもしれない。それは、人が進歩を求める歴史の必然だろう。しかし、それには、「種火」を失わないための、謙虚な取り組みの積み重ねが必要なのではないか。我が国では、民間会社から国、内閣総理大臣までの重層的な関与は、それぞれの職務の分掌化が、結果として「安全」を担保し得なかった。「想定し得ない」ということは人間の未熟さであって、神への言い訳にすぎないのかもしれない。また、安全を担保するためには国際機関による技術水準の研究、維持の他、建設における監理、また、その商用運転においても、国際的な監視の下に行われることが考えられるが、コマーシャルベースで行われる以上、その障壁が高いことは明らかでもある。

電力需要を基にした経済発展を維持するために、今、「選択」をなすべき局面なのだろう。原子力発電に言われるところの「3つのE」は、既に国民に対する説得力を失いつつある。「再生可能エネルギー」の莫大なポテンシャルに着目し、そこに大きく「軸足」を移すことは、残された道、というよりも切り開くべき道なのではないか。これまでの、取り組みの歴史がある。犠牲にすべきもの、後退するものも含めて、そこに航海図を描くのが、政治の責任ではないか。

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