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2011年7月14日 (木)

東北*遠野の夏

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東北の夏は暑い。
子供の頃、旧盆に父の帰省で宮古を訪れると、そう思っていた。
東京から遙か北に向かうのに、尋常でない暑さが不思議だった。

遠野行きの話しの前に、少しだけ寄り道を。

その頃は確か、東北本線の特急で、盛岡までは6時間位かかったような気がする。東北への旅は、上野駅を発つときの高揚感からスタートした。これは私の手を引いた父親も同じことだったろう。
ホームに入線している特急の座席に腰を落ち着ければ、小さなコップがセットになったウイスキーの携帯用小瓶を取り出し、目の前に鎮座させるのが、いつもの儀式だった。私は、当時定番だった冷凍みかん、ただただ甘いコーヒー飲料やソフトドリンクがお供で、缶の底に飲み口を開けるパーツが付いていた缶もあった時代だった。その後、押し込み式のプルトップとの過渡期を経験することになる。もちろん駅弁のための時間も充分にあったが、当たり前の幕の内弁当で結構、満足だった。経木の折箱に掛紙を掛け、縦横に紐が掛けてある、御飯は型押ししてあり、黒ごまが散らしてある、あれである。その外見も中身も、夏の旅のエッセンスとしては定番だった。

年によっては帰りの指定席が確保できず、周囲の客と同じように、通路に新聞紙を敷いて車体の揺れに身を任す旅も経験した。多少の不満はあっても、さほど辛くはなかった。そんな風景も珍しくはない時代だった。ただ一度、古い客車で編成された宮古発、臨時の夜行急行で帰ったとき (後日、調べてみると、B寝台も連結した4両編成の「みやこ」だったと思われる、釜石経由花巻に向かい「十和田」と連結。)、それは、さすがに子供には厳しい旅となった。深夜の車窓には、横切る光の軌跡以外、何も見えない。日中とは時の流れの早さが違うことを実感した。ボックスシートでうつらうつらしながら、ひと晩、修行のような旅をすることになった。首都圏に近づき、すっかり明るくなった頃、朝食ということだろう、父から駅弁を渡されたが、折箱の蓋を開ける気力が残っていたかどうか、覚えていない。大変な旅だったが、今思えば、その道中、父なりに気を遣っていたのだろうと思う。

そんな記憶も含め、別稿で触れてみたい。もとより、旧盆のころに指定席を確保することは、オペレーションとしては緊張感漂う総力戦だった。

今時の旅は、東北新幹線での短い旅程と、接続する在来線、若しくは地元公共交通機関の組合せを計算するだけの旅で、やや、物足りないと言えば、へそ曲がりだろうか。今は、構内のコンビニでサンドイッチとドリンク、日経を買って、新幹線に乗るのがスタイルとなった。現在の旅では、それで丁度よいのである。

ともかく長い旅だったが、東北本線の特急停車駅にもそれぞれの地元の表情があった。水沢駅だったろうか、ホームにたくさんの風鈴が風にたなびいている風景が、夏の風物詩として印象に残る。翌年もまた同じ風鈴が迎えてくれた。

その駅の風景をひとつひとつ後にしていくことが、郷里に向かって旅を続けるストーリーになった。それは現在の新幹線の旅とは比べようもない。東北本線の盛岡駅に到着した後、地下の連絡通路をくぐって山田線の発着ホームに向かえば、太平洋岸の宮古を目指す旅が始まる予感がした。それは、旅の終わりを実感させるものであり、ゴールに向けて辿る駅名のひとつひとつが記憶に刷り込まれた。

それは、夏の帰省がひと仕事であった時代のことだが、夕刻近く、父の郷里である宮古に到着するころには、子供心にも旅を終えた達成感らしきものがあった。

そして、今年7月、法事で遠野を訪れることになった。
2005_060400014釜石線に乗り換えの新花巻駅を目前にして、水沢江刺駅に停車中、7月10日9時57分発生したマグニチュード7.1の余震に遭遇することになった。走行中であれば、違う緊張感が支配しただろう。車体の大きな揺れとほぼ同時に送電がカットされ、今何が起きているかは認識された。一瞬の緊張感と共に、いくつかの想定と、これからの段取りの計算が頭を過ぎる。3月の東日本大震災以来、復興に向けた歩みという意味で、時の経過を感じていたのも事実なのだが、被災地の方々、東北の方々にとって、震災という意味では未だ終わっていない日常である、そう感じる瞬間だった。

幸い20分程の遅延で運行は再開され、新花巻駅で釜石線に乗り換えることができた。太平洋沿岸である釜石には津波の避難勧告が発令され、釜石駅までは運行できないということだったが、私はその途中である遠野を目指して車中の人となる。盛岡駅から宮古に向かう山田線に比べれば、渓谷沿いという風景は少なく、市街地や見通しのよい平野の風景が多いかもしれない。車窓に広がる緑豊かな水田の景色は、東北の夏の風景でもあるが、この季節の遠野行きを思わせる。

遠野駅に着いたのは昼過ぎで、通りの人影もがまばらだったが、それは、街が息を忍ばせているようにも見えた。

遠野は水が豊かである。
今回は散策する時間がなかったが、市内を流れる川やこの時期の用水路の水の豊かさは印象的だった。駅前に広がる街の区画は遠野南部氏の頃の街づくりを偲ばせる。
今回は、これまで幾度か通った道を、レンタサイクルで駆け抜ける。いくつかの辻を曲がって、法事が行われるお寺に駆けつけた。空には東北の夏の空。法事を行った本堂には涼やかな風が吹き抜けていた。

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