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2012年5月 6日 (日)

清正公大祭のころ

2012_0505_13e_2                    (高野山東京別院の裏手から東禅寺へ)

5月5日に、覚林寺の清正公大祭に賑わう高輪を訪ねる。
学生時代までを過ごした高輪とは縁が切れることはないのだが、ゴールデンウィークの最後に、ふと足が向いた。きっかけが必要なのだが、清正公大祭があり、それで充分である。何年かに一度、その変化を感じつつ、自分の歴史を辿りながら路地を歩く。

自分だけで、走り回った頃の記憶を手繰ることが出来れば、それでいいのだが、思わず同級生とも顔を合わせることもある。
今回は、地元の商店で、昔話しを伺うこともできた。いろいろと伺いたいところだが、営業妨害になりそうなので差し控える。

2012_0505_15e先の報道で、旧衆議院高輪議員宿舎を都が購入することが報じられ、白金から高輪に至る計画道路の動向が気に掛かる。未着手の区間だが、動き出すのだろうか。
完成すれば、地域を南北に分割し、その息遣いに、大きな変化をもたらすだろう。むろん、ここ数年のこととは思えないが、近辺を、もう一度歩いておきたかった。

第一京浜から東禅寺参道を経て、高野山東京別院の裏手を辿る。昔の記憶を遮るように、擁壁がそびえる。桂坂を高輪台小学校裏で横断し、大改修を行った高輪台小学校脇の旧道を辿る。正門脇の、民家が忽然と消え失せ、緑地になっている。広い敷地の民家だった。。

2012_0505_26eその先の高輪浴場は消えた。1年ほど前のことらしい。
その向かいのケーキ屋さんホーリーは健在だ。帰り際に店内をのぞくと、サバランがあと2個。これを迷わず購入、何十年ぶりかの味である。
川越までの土産とは言えなかったが、保冷剤をお願いし、大切に持ち帰った。帰宅後、早速、賞味したが、子供の頃のようには、はっきりとお酒の香りは感じなかった。スプーンですくって食べると、のどの奥にお酒のテイストがはっきりと残ったように思うが、何十年かの時の経過が、単純に、それだけでは物足りない飲兵衛にしたということだろう。

高輪浴場も消えたが、その前には薬局がありホーリーの隣には、鶏肉の加賀屋さん、二本榎通りの角には近藤文具店も記憶の中だけになった。正確に言えば、加賀屋さんのことは、ホーリーの奥さんに指摘されたのだが。

二本榎通りを辿り、天神坂を下ると、覚林寺清正公様へのお参りをするために、桜田通りを渡る。境内は整理され、昔より夜店の数が少ないだろうか、子供が目を惹く夜店も見当たらない。その昔、境内の夜店でこだわったのは「吹き矢」だった。いろいろな模様のプラスチックのパイプが性能を競っていた。パイプに込める矢は、紙を円錐状に丸めたもの。パイプを買うと、いくつか付けてくれたと思う。店頭でデモを見せられて買っているので、早く持って帰りたかった。そんな夜店をひやかすのは、やはり夜店のランプが昼間と違う世界を演出する、日暮れからがお気に入りであった。

最後に触れておきたいのは、天神坂から覚林寺に辿り着くまで、反対側の川岸を目指すかのように桜田通りを渡って感じること。

過去の記事で、かつて天神坂が覚林寺の参道として、横断歩道なくして、機能していたことに触れてみた。また、ここに、食い違った道を貫通し、現桜田通りが開削され、昭和30年代末に拡幅工事がなされたこと。明治時代にまで遡ることは荷が重いが、昭和30年代末の拡幅工事によって、変化したであろう街の息遣いを探ることができないだろうか、そう思っている。

子供の頃、桜田通り沿いに、何カ所かのネットフェンスが張られた更地があった。当時、忽然と現れる湿り気を帯びた空き地に、何か不思議を感じていたが、桜田通りの拡幅の前と後に思いを致せば、そこにあったいくつかの生活が断ち切られ、どこかに旅立った後の姿だったのだろうか。その代表が、明治時代からあったという白金郵便局の跡地ではなかったのかと思う。ともかく広かった。
壊れた波板トタンの隙間から忍び込み、廃墟のような空き地で遊んだ記憶も、その過渡期のことだったのだろうか。

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