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2012年7月18日 (水)

暑中お見舞い申し上げます

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西日本の豪雨は、大変な被害をもたらしましたが、関東も梅雨が明けました。内外の諸課題が積み上げられたまま、今年の夏を迎えることになります。すでに、酷暑の兆しが見えておりますが、ご自愛下さい。

中学生の、痛ましい結末を招いたいじめに関する報道が連日、続いています。今も、出口が見えずに、自分のことで心を痛めている児童、生徒が多数いることは、想像に難くありません。

教育現場が、その招来した結末に対して、因果関係に依拠して責任問題を語る姿は、いったい何を守ろうとしているのかと錯覚を覚えるとともに、そこに潜在していた、人権侵害行為、犯罪行為の存在に目を向けた、教育現場の取り組みが前面に見えてこないことに、戸惑いを覚えます。

義務教育の現場で、最低限、守られるべきものは何かと考えます。そこでは、個人の人権が見守られ、犯罪行為から遠ざけれられ、その結果として生命に関する危機に直面せず、平穏に成長できることが保障されるべき機会と場所が提供されることであると理解します。そのための、教育現場の価値観と方法論、それを支えることができる組織体制が求められることは明らかです。

「いじめ」の外形的な定義によって、それが形式的に認識されたときは、そこにあるのは結果にすぎません。それに至る人権侵害の芽、犯罪行為の芽を根気よく摘むことが重要であることは、誰しも、理解するところだと思います。

そのためには、子供達のコミニュケーションに対する客観的評価、いわば介入を、学校現場において覚悟と確信をもって行うことが求められていると感じます。家庭や地域社会との間で、それぞれ役割を持って連携することが不可欠ですが、毎日通学する学校教育現場において、「けんか」と「いじめ」を峻別する論理には、その実効的な意味において疑問が残るところです。また、教育現場において、その当事者能力に疑義があれば、学外の組織が関与すべきであることは、言うまでもありません。

日常の細かな事象に追い詰められた子供達に寄り添い、耳を傾けることは、彼らの生存権を保障することであり、加害行為に手を染めようとする子供達をそこから引き戻すことは、子供達を加害者としないことでもあります。


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