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2013年2月14日 (木)

みなかみ*法師温泉長壽館

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恒例の冬の会合は、今年は三国街道の法師温泉を目指した。
秘湯の一軒宿である。
あえて上越新幹線で入らず、上越線の沼田駅から入る。
沼田の駅前で、十割蕎麦の昼食とするのを楽しみに、のんびりと上野から水上方面へ向かう。上野駅で集合した方々も、年々、やんわりとお年を召して行くが、気分だけは以前のままにも見える。社会保障の話題が増えたことが、その変化だろうか。

長い旅路を終えて、最後のバスで旅館前に到着する。
早めに到着できたため、風呂組は早速、「法師の湯」に向かう。
別班は、カメラを抱えて周辺の探訪に向かう。各々、目的を果たして部屋に戻ると風呂組は、湯あたりか、湯疲れか、ともかく再起不能な状態にある。その後、替わりに「法師の湯」に浸ると、その理由が分かったような気がした。

湯温が体温より、そう高くはない。冷たくもない。ともかく、心地がよい。いつまでも浸かっていられる。言い換えれば、湯船から出るタイミングを計りかねるというか、逸してしまうのである。同じように、多くの湯治客が、ほぼ無言で並ぶシルエットになっている。薄暗い、広い湯殿が、その雰囲気を醸し出している。明け方、5時前に湯船に浸かったときは誰もいない空間だった。湯船の床に敷き詰められている石の間から湧出しているという、お湯の塊を感じることができた。身体の脇をするりとすり抜けていく感触は、誠に不思議な感覚である。さながら、そこかしこから生まれてくるお湯に包まれる感じだろうか。

廊下奥の並びに、近年整備されたという「玉城の湯」は、やや湯温が高いと思う。その点、違う表情を見せる。善し悪しというよりも、違う表情なのである。その湯温の暖かさにどこか安心するのだが、「法師の湯」にもまた、浸りたいと思うのも不思議なものだ。

宿の表情は明治時代の本館から、その後の増築部分まで、無理のない一体感がある。本館に宿泊したが、とりたてて機能的な古さを感じさせない。

食事処での食事となったが、元気のいい団体さんと隣り合わせたことを除けば、山間の一軒宿というイメージとは一線を画する料理を味わえることが、嬉しい。
日常と縁の無いような高級食材にはお目にかかれないが、十分に手を掛けた味と、見た目でもあると思う。

お品書きの最後まで、バランスよく計算されている。
先付けの「数の子みずの実漬・菊花胡麻和え」はいかにもシンプルだが、個性的なスタートだ。お造りに一口添えられる「トロ湯葉」が、「姫ます」と「鯉洗い」の取り合わせの仲を取り持つ。煮物の控えめな味付けと端正な盛り込みは、地味な小鉢だが、宿の主張を感じさせる。揚物の「岩魚唐揚げあん掛け」は、初めて目にした。
岩魚といえば塩焼きという既成概念から踏み出した提案として嬉しい。味付けも控えめで、岩魚の個性を壊してはいない。当然、骨まで食べられる。酢物の「氷頭なます」は文句なく旨い。同じ小鉢に盛られた茗荷とホワイトアスパラの彩りもよい。胡瓜にも細かな包丁が入っている。果物の小皿では、「苺」には包丁が入り、僅かにずらせて断面を見せる。添えられた一口サイズのケーキとのマッチングもよい。当たり前かもしれないが、最後まで気配りを感じさせる膳であった。ただ、残念なのは、料理のテンポがやや早い。その辺りは宿の都合だろうか。

朝食も、そのバランス感覚を感じる。朝食なので、手を掛けた料理を望むべくもないが、白米を美味しく食べられる皿が並ぶ。米も吟味してあるらしい。おひつの脇で、するりと二度ほどお代わりをし、自分でも驚いた。珍しいものではないが、野菜サラダが旨い。生ハムが(だろうと思うが)乗った新鮮な野菜、カリフラワーにマヨネーズと、手製のドレッシング、何故かインパクトがあった。

旅館に泊まれば、朝食が美味しい。何故か、自宅の食事よりも、するりと倍は入ってしまう。朝食の席で、お代わりの手が伸びる気分が、旅に出た喜びだろうか。

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