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2013年3月16日 (土)

都市の胎動として

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3月16日をもって、東急東横線渋谷駅の姿が変わった。開業以来のターミナルの姿を変え、新しい渋谷の環境の一部として組み込まれた。その新たな位置付けという意味では、昭和2年8月の開業に次ぐ、第二の開業かもしれない。渋谷駅は、東京急行電鉄、東日本旅客鉄道、東京地下鉄を事業者とする駅街区開発計画に拍車がかかる。これから建設される高層ビル群は、2020年度に東棟、2027年度に中央・西棟の開業が予定されているという。渋谷マークシティ、ヒカリエに続く、渋谷の表情を変える大きなプロジェクトである。

その変わりゆく都市の胎動については、私は、そこまでで納得する。
その後は、その礎となった消えて行くものに思いを馳せたい。

2013年3月15日の東京新聞の夕刊記事に「渋谷の顔 地下化で一変 消える戦後モダニズム建築」とあった。3月末で営業が終了し、取り壊しを始める東急百貨店東横店「東館」(「東横百貨店」)は渡辺仁の設計で昭和9年竣工、フロアの整理が行われる「西館」(「東急会館」)は、坂倉準三の設計で昭和29年竣工である。戦前・戦後の歴史を纏っている百貨店は、カーテンウォールの下に、竣工時の鼓動が脈打っている。坂倉準三は1952年に東急電鉄より依頼を受け、「渋谷総合計画」の立案から、東横百貨店の新館を初めとする複合ビルの東急会館の設計に入っている。

これから整理の対象となる「西館」は、戦時統制のため、3-4階の東京高速鉄道のプラットホームまで完成したところで工事が中断されていた旧玉電ビルを増築したもの。2階には玉電の改札があった。現在のJR玉川改札の名称に、その記憶を残す。玉川改札を出て右手にはハチ公口に降りる階段がある。同フロアには京王帝都井之頭線への通路も接続。独立していたJR駅舎の改札とコンコースをも内包した商業ビルとなった。竣工直後の写真には、未だ目立ったビルのない、瓦屋根が続く渋谷の谷の中心に、東横百貨店とともに、東急会館(「西館」)がそびえる。そこに、渋谷の将来設計の萌芽が見えると言ったら、言い過ぎだろうか。今回、そんな歴史を掘り起こしながら、その途中から自分の記憶と摺り合わせる。

最後に、先に例示した記事の一部を引用したい。「現在では当たり前となった『駅ビルが駅舎』の黎明期を築いた坂倉。その代表作である東急東横店の跡地は、今後十四年かけ、地上四十六階建てを筆頭とした高層ビル群に生まれ変わる。再開発で坂倉の作品群が消えるにつれ、坂倉の存在感は大きくなるかもしれない。(2013年3月15日東京新聞・夕刊)」

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