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2013年3月 6日 (水)

黒部の太陽(ノーカット完全版)のこと

東銀座の東劇にて、ノーカット完全版を見る機会を得た。
三船敏郎や石原裕次郎の姿をスクリーン上で見るには、見るべき作品は数多い。本作では、スクリーン上で、戦後の日本の背中を押すことになったプロジェクトの脈動を描こうとする両氏の使命感に似た、情熱を感じることができる。その意味で、史実の脇を飾る映画としてのストーリー性は、黒四建設事務所副所長の三船とその家族、設計技師でありながらトンネル掘削工事に携わることになる裕次郎の家族関係に焦点が絞られる。ただ、戦時中の黒三ダム工事を知る古参作業員役で登場する宇野重吉と、デビュー作となった寺尾聰が同じフレームに収まるシーンを見ることができたのは新鮮だった。数少ない共演ということである。また、名優が数多出演しているのに驚くが、関西電力社長太田垣として出演している滝沢修の演技が印象深い。

付言すれば、黒四の竣工後を描くエピローグについては評価が分かれるところかも知れない。扇沢からダムサイトへ抜ける関電トンネルをトロリーバスが走る。その途中に破砕帯の表示がある。正に先の見えない死闘を繰り返したところである。トンネル内のトロリーバスの車中の人であった三船は、ドライバーに告げて、その場所で下車する。そこで下車できるかどうかはともかくとして、ある意味、バスが発車した後、トンネル内に残された三船の姿が全てを語っていたようにも思える。しかしながら、その後、ダムサイト上に移ったカットは、何を語るべきかとの迷いを感じる。事故死した息子を思う宇野重吉と妻の姿、三船と裕次郎の姿が、回想を交えて交錯する。完成したダムが全てを語るということかもしれないが、完成したダムサイトの上で交錯する人々が、個々人、黒四での経験をどのように整理し、明日に向かうのか。エピローグとして、通り過ぎた関係者の人間ドラマとしての立体感が欲しかった。

余談だが、今回、劇場に足を運ぶ前から本作品について、解決できない疑問がある。何故か記憶の中で、「黒部の太陽~背に受~けて」と裕次郎の歌が流れるシーンがあったような気がしてならない。完成後、黒部を去るシーンのはずである。何の確証もないのだが、それなりのリアルさもあり、不思議である。過去のテレビ放送での記憶の断片だろうか、それとも、本編上のカットを居眠りしていたのか。とんでもない勘違いなのか。ともかく、解決しないまま、東劇を後にした。

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