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2014年10月 7日 (火)

鎌倉*旧華頂宮邸あたり

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この秋の内部公開に合わせ、台風の接近を控えた土曜日、鎌倉を歩いた。

鎌倉市浄明寺の奥に、その佇まいはある。

その由来は、伏見宮家の分家にあたる華頂宮家は、4代博忠王の薨去後、断絶していたところ、1926年(大正15)に3代博恭王の第三子博信王が臣籍に下り、華頂の姓を賜り、伯爵を授けられ祭司を引き継ぐことになった。そして、1929年(昭和4)、華頂伯爵邸として建てられたもの。

現在、その所以から旧華頂宮邸と呼ばれている。 伯爵夫妻が住まわれたのは、ごく短い期間だったという。その後、所有者が度々代わったということなので、外観はともかく、壁紙などの内装はオリジナルの風情は望むべくもないと思いつつも、鎌倉を訪ねた。

020141004_0026外観は、玄関側、庭園側のファサードは、そのハーフティンバーの意匠から、設計者と施主の意向は感じ取れる。内装は、後年の改装を思わせるが、照明器具や窓枠には、時代を感じさせるものが残っている。その窓から望む景色は、八十数年前と同じなのではないだろうかと思える。

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各室とも、オリジナルの内装をイメージするのは難しいが、玄関ホールの二階部分、玄関側に向けた窓からの採光が印象的だ。ホールの壁の塗装は、大変個性的で驚かされるが、その後の所有者の意向によるものだと確信できる。天井の構造はどうだろう。構図として、オリジナルを残しているとすれば、興味深い。

帰路の横須賀線の車中、駅の観光案内でもらったマップの裏に、鶴岡八幡宮境内にある鎌倉国宝館の記事があるのを見つける。設計者に岡田信一郎の名前がある。市のHPによれば、鎌倉国宝館は、昭和3年の開館とある。大正12年の関東大震災による被害を契機に設立が計画された。先ほどの旧華頂宮邸は昭和4年である。常々感じることではあるが、大正12年の大震災は多くの人々の生き方を変え、日本の舵を切らせたとも言えるのではないか。

次の目的は鎌倉国宝館で時間を使うことに決めた。 ウォーキングとして、距離は稼げないが。

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