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2015年6月 7日 (日)

閑話*日本語のこと

それなりの理由はあるのだが、古文書の読解に挑んでから、しばらく時が経った。入門書のカバーもいささか汚くなった。なかなか、ものにならないが、諦めている訳でもない。日常において、積極的に時間を確保するまでもは至らないが、車中の人となり、目的地に着くまでの時間には入門書の頁をめくる。スマホを弾くように撫でている周囲の絵面からは、浮いているかもしれない。

読めないことが口惜しいと言おうか、違和感が残るというのが正直なところ。日本語というコミュニケーションの手段だと思えばなおさらのことである。幸いにも、古文書と同時代の同胞とやりをすることもないわけで、それはそれでいいとも言えるのだが、その同胞の末裔だと思うと、どうだろうか。

そんなこんなのアプローチの末、このほど、幾ばくかの授業料を払い、全部で8回程の講座の中でアプローチをする機会を得た。これまで、自学自習と言えば聞こえはよいが、自己流のアプローチを試みていた。この講座においては、専門家の指導よろしきを得て、いささか眼を開くことができたような気がする。

その結果、手元の入門書も、見方を変えることが出来た。単なる、単語や用例の量で計るべき技能ではなく、文化としての日本語とでも言おうか、その根底に流れるメンタリティを感ずる。
それは、その時代を生きた同胞の息遣いとしてかもしれない。

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