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2015年8月 9日 (日)

今年も8月を迎えて

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日本における8月の意味は重い。

とりわけ、今年の夏には日本は大きく舵を切ろうとしている。 日本の歩いてきた道を振り返り、歴史から学ぶことの意義を捉え直す夏になる。

いま用意される、政治プロセスの中で仮構された文脈から導き出される結論は、果たして国民にとっての真理と言えるだろうか。

周囲を見回しただけでも、国民の代表として選ばれた者が国民と対話を前提とせず、リアルではなくネット上において、公に国民を評価、批判する日常がある。そこに仮想されるステレオタイプが見える。また、掲げる目的のためなら、そこ至る手段は問題ではないと、あたかもそれが当然のことと、放言される日常もある。その視線と軸足に、今の政治プロセスの実相を見る。

どの時代にも「真理」を説く者が用意するレトリックは存在する。
しかしながら、最終的には、自分の感性を信じることが、より真理に近づく態度ではなかろうか。 それは、同胞が歩んだ歴史の中に自分を位置付け、そしてその結果として未来にバトンを渡すのは、個々それぞれの権利であるとともに、義務であるであることからである。

酷暑の中、確信めいたものが去来する。

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