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2016年12月23日 (金)

あの頃のこと

このブログ開設当初から、幼少期から学齢期まで過ごした土地である高輪のことについて書き残してきた。過去の投稿と重複するが、再びまた、いくつか触れてみたいと思う。いろんなことを書いてきたので、整理することも大変なことなのだが、この年末年始において断片的に触れることをお許し願いたい。 (これまでの、本テーマの記事は、カテゴリー「路地*高輪、白金」をご覧下さい。)

まずは、品川駅前から。つい最近、京浜急行で横浜へ往復する機会があったので、平日だったこともあり、その息遣いを感じられるかもしれないと師走の二本榎を目指した。

品川駅は新たな役割が加わり、加えてリニア新幹線の工事も始まった。見た目、高輪口は昔のディテールを残しているが、港南口は新しい街となっている。また、隣接する田町駅との間にある泉岳寺前においても、新駅の開設に伴う開発行為が予定されている。

過去の記憶は、当時の時計が脳裏で時を刻むかのように、その風景と息遣いとして生きている。
高輪口の駅前は、現在、JR駅舎と隣接する京急のイメージが昔のイメージを残しているが、その向かい側は様変わりしている。京品急行の旧本社と、京品ホテルがランドマークではなかったか。むろん、そこが北品川から延伸された路面電車の始発駅だったころは知らない。旧京急本社ビルの脇を走る石榴坂を、西に向かって上れば突き当たりには森村学園があり、道なりに右折すれば二本榎の商店街に至った。実際は、プリンスホテルの敷地の脇を蛇行する坂道があり、そこを通り抜けるのがアクセスだった。

駅前に立つと、空は低かった。表現がどうにかならないかと思うが、そんな感じかもしれない。当然、都電の最盛期を体験しているし、トロリーカーも現役の頃を見ている。その架線が主要な道路を覆っている、そんな時代があった。

旧国鉄駅舎の一階、今はホームへ向かう階段の上がり口になっているところが、有人の改札口のあったところで、その脇に出札窓口が並んでいた。現在はコンビニやらコインロッカーが場所を占めているあたりである。

窓口は路線別に並んでいたのだと思うが、いくつあったろうか。子供の頃、窓口に張り付くと、切符を扱わせては達人と思わせるような係員に、緊張しながら行き先を告げた。係員は、行き先ごとにセットしてある硬券を素早くホルダーから引き抜き、日付を打刻するダッチングマシンをくぐらせる。原始的な機械だと思うが、それは山手線一駅間の切符でも行われる大層な儀式に思えた。付言すれば、改札にも達人がいた頃の話である。

その後しばらくして、改札口寄りの出札口に何台か、自動券売機が設置されたが、現在の多機能な券売機とは比べようがない。特定の区間、運賃が単一の切符の発行ではなかったろうか。ともかく、硬券と比べ心許ない、ぺらぺらの切符というイメージだった。

出札窓口のいちばん北側には長距離用の出札窓口があった。帰省時期などには、申し込みのため、早朝から列を作ったような気もするが、いつの頃からか予約になって、手配の結果だけ知るようになった。その奥のはずれには、鉄道小荷物、チッキの受付があり、親と一緒に帰省する際の荷物などを持ち込んだ。宅急便はまだ、影もかたちもなかった頃のことである。

さらに、駅の北側には隣接して、狭小な飲食店が軒を並べる一角があった。昭和42年実施の住居表示新旧対照案内図で確認出来るが、数十軒というレベルである。かつて、戦後国鉄のターミナル駅前にあった闇市の流れをくむ一角だったのだろうか。珍しく家族三人で外出した帰り、品川駅に帰着し、その一角にあった中華料理屋の2階で、私たちだけで夕食をとったことを思い出す。   
追って、その二へ。                                                               

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2016年12月22日 (木)

学芸員的視点 その3

その後、特別展として根津美術館の「丸山応挙 写生を超えて」、サントリー美術館の「世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画」を訪ねた。

前者はこれまで、訪ねたかったが足を踏み入れていなかったところ。庭園も含めて館の世界ができあがっている。「写生を超えて」応挙が目指してものを感じさせる意図だった。後者は巨大なビルの中に内包されたミュージアムである。その世界に馴染むのに時間がかかったが、展示ケース内の作品の高さ、間隔とも無理なくストレスがない。展示作品には、「秋田蘭画」を残した秋田藩士の視線を感じられる。

小田野直武の「不忍池図」は、階下に下り、オープンなスペースで見ることができる。その構図、色彩とも西洋画の技法を消化しようとした意思が伝わる。ミュージアムショップ土産の絵はがきとして、現在、目の前に立てかけてあるのは「不忍池図」である。

年末年始には、これまでも書き残してきた高輪の記憶について、触れてみる予定です。

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