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2017年1月13日 (金)

あの頃のこと その3

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あの頃のこと あの頃のこと その2 続き

食の記憶は、何より忘れ難い。

当時から店舗を構えていた洋菓子店ホーリーさんのサバランである。以前、立ち寄って買い求めた時は味が変わってしまったかと思ったが、今回は懐かしい味がした。高輪台小学校の入口付近に出来たお店で、登校時には甘いにおいに鼻腔がくすぐられた。

蕎麦屋さんとしての存在感は新月さん、足を伸ばせば天神坂は長壽庵さんだったと思う。以前にも触れたが、たぬきそばの天かすの旨さを覚えたのが新月さんである。蕎麦屋のカレー、カツ丼、たぬきそば、きつねそば、おかめそば、夏場には蕎麦屋の冷やし中華。その中でも、ふたが閉まらないカツ丼のボリュームは、小学生にはたまらなく贅沢で魅力的なものだった。そのときの経験から、カレー、カツ丼のトッピングはグリンピースだろうと確信めいたものがある。

出前を頼むと、麺類には七味と長ネギの薬味が小皿に乗り、新月と印刷された細長い紙にくるまれていた。カツ丼には沢庵と新香であったと思う。

中華は宝来さん。何でも美味しかった記憶。チャーシュー麺は魅力的だったが、何にすると聞かれれば、タンメンだった。半割のゆで玉子が好きだった。

それ以前にさかのぼる食の記憶は、温かいコロッケである。
屋号は覚えていないが、すでに転出していた上行寺の正門脇にあった肉屋さんがお決まりであった。小学校に上がる前、初めての小遣いは10円玉を握りしめて、コロッケを買いに走った。
肉屋の店頭で、注文すると、割烹着を着たおかみさんが精肉の冷蔵庫の大きな扉を開き、あらかじめ整形したコロッケのねたを取り出す。小麦粉をはたき、玉子をくぐらせ、パン粉をつける一連の所作を目の前で見ることが出来る。その間、大きなフライ鍋のコンロに火をつける。フライヤーの時代ではない。おそらく、ラード100%だったろう。真っ白に固まっていていることがあった。溶けるのを待つ時間も、期待が膨らんだ。時によっては、テーブルの下からラードを追加することも。

今でも忘れられないのは、コロッケを揚げたおかみさんが、ソース掛ける?と尋ねてくれたこと。実はおやつの買い食いではなく、本人は、一個のコロッケを持って家に帰るつもりだったのだが。

この店では、経木に揚げ物を包んでいた。お店によっては今でも現役かもしれない。その上から緑色の紙でくるんで渡してくれる。さらに、記憶にあるのは。冷えないように新聞紙でくるんでくれたように思う。店の入口からは、カレンダーの裏(たぶん)にマジックで書いた手書きの値段表が見えた。家の総菜に、コロッケ以外のメンチカツ、時にはトンカツを頼むときにはいささか緊張したとともに、持ち帰るときには充実感が漂った。

朝、肉屋さんの前の路上に練炭火鉢に火が入り、ジャガイモを茹でるお釜を載せてあるのを見ることがあった。それを、横目で見ながら登校した。

冬の季節感を感じたのは、鳥屋さんかもしれない。屋号は加賀屋さんだったと思うが、クリスマスが近づくと、店頭で観覧車のようなのロースターが回っていたことを思い出す。今でも、商店街で見かけることがあるが、あれである。温かい総菜の中でも、ひときは存在感を放っていた。商店街をとおって下校するのも、生活の息づかいがあった。

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2017年1月12日 (木)

あの頃のこと その2

あの頃のこと 続き

品川駅前には明治維新後の後藤象二郎邸、それに続く旧皇族の邸宅の歴史があり、以前の記事ではその歴史を出来るだけ立体的に構成してみた。詳細は以前の記事に譲りたい。ひとことだけ触れれば、品川駅前から石榴坂を上りその、高輪の台地の上を走る通りまで現在プリンス系のホテルが軒をならべる一体は、旧皇族の広大な邸宅地であった。

台地の上を北上する二本榎通り沿いは寺町であった。
また、そこには、日常生活を支える商店が軒を並べていた。生鮮食料品はもちろん、米屋、豆腐屋、酒屋、乾物屋、雑貨屋、和菓子、和装、カバン屋、床屋、美容室、医院、薪炭店、ガソリンスタンド、時計店、電気店、蕎麦屋、中華料理店、鳥や、信用金庫、郵便局、高輪台小学校の入口付近の文具店、小学校前の駄菓子屋、鰻屋、喫茶店、今となっては驚くべきことに商店街に面したて小さな映画館があった。円筒形のチケット売り場が正面にあった。いちどだけ、父に連れられ、中に入ったことがある。提灯が下がった2階の桟敷席だった。刀を振り回す時代劇だったことだけは覚えている。

床屋は明治学院に向かう道路脇の平賀理容院さんに通った。南側の窓は歩道に接して開放感があった。大きな大人用の椅子に、子供用の補助椅子を掛けていた頃からのおつきあいだった。円筒形の湯沸かしと洗面が壁際にあって、おじさんに促されて、洗髪に椅子を移る、昔はどこも皆同じだったろう。それと子供として大きな利害関係は、待ち時間に週刊漫画のバックナンバーを読破できることだった。

そうそう、おもちゃ屋も2軒あった。トイランドとハトや、小学校前の駄菓子屋も入れれば3軒。そこでは、ずいぶんと無駄遣いをしたと思うが、シート状の石けんにイラストが印刷されている「紙石けん」という商品が流行っていて、これは小学校での手洗いという名目で、どちらかと言えば胸を張って買ったと思う。
                           
高輪警察署と高輪消防署前の交差点の角には、二階建ての大きな書店があった。その反対側の角には、いつの頃からかショーケースだけの、小さなケーキ屋さんができた。それ以前は和菓子を商っていたように思うがそこの記憶が定かでない。

書店の建築が進んでいる頃の高揚感が思い出される。毎日、工事現場の脇を通って通学をしていた。道路際に出窓が目立っていたが、気がつけば本のショーウインドだった。組み立て済みの大きな螺旋階段が工事現場に運び込まれていたが、出来上がってみれば、入口脇に設置された2階が回廊式の吹き抜けだった。いずれにせよ、インターネットのない時代に、情報があふれる予感に、高揚感に包まれていた。

二本榎商店街の商家の記憶のひとつとして、商店街の中程、芝信用金庫の並びに、カバン屋さんがあった。小上がりがあって、カバンの修理もされていたと思う。その頃流行のジーパンに合わせる幅広の革ベルトを探しに行った。気に入ったかどうかは覚えていないが、商品を定めて、購入を申し出た。まだ、中学生でしかなかった私に、「ありがとう存じました」と声を掛けて頂いた。その商いの姿勢に触れたようで、今でも記憶に残る。

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2017年1月10日 (火)

迎春

新年明けましておめでとうございます。

新年の東京国立博物館を訪ねました。国宝である、長谷川等伯の「松林図」に巡り会えたのが最大の成果でした。印刷物でも伝わるものはありますが、霧の中で、冷たい空気に満たされた空気感が伝わるための展示室での距離感が重要であると実感しました。
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