新年度になれば気忙しさも和らぎ、再開できると思っていましたが、一度生活のリズムから外してしまうと暦は進むばかりで。
ともかく再開したいと思います。
表紙のデザインも秋冬ヴァージョンから、夏ヴァージョンに。

(東京ミッドタウン日比谷)
視点は、建築に。
有楽町や日比谷の風景は、丸の内や日本橋のビジネス街ほどのスピード感はないにしろ、時代の歯車が回るように、その表情を変えて来ました。

(三信ビル)
近隣で、最後まで偉容をとどめていた三信ビルが、関東大震災後の都市の歩みの中で育まれた使命を終え、取り壊されてから何年経つでしょうか。(昭和5年(1930)竣工 横河工務所、平成19年(2007)老朽化のため解体 三井広報委員会)


今年、その地に開業した東京ミッドタウン日比谷の一角には、三信ビルの記憶をとどめていることが報道されていました。
歴史上の使命をを終えた建築物と、新たな使命を期待されて創造された新たな空間とを比較することは積極的な意味を持たないかもしれませんが、脳裏に刻まれた記憶と、新たに創造された空間の重なる部分を探しにちょっと訪ねることにしました。

三信ビルの地下にも飲食を中心に店舗がありましたが(私が出没した頃は、ブックスタンド、事務スペースもあった気がする。竣工時には異なる表情を見せたでしょう。三信ビル保存プロジェクトのHPには地階と8階に大食堂があった旨の資料がある。)、その建築物としての「顔」は、建物両翼を貫通するヴォールト天井を有する1-2階吹き抜けのアーケードでした。
東京ミッドタウン日比谷の、地下鉄からのエントランス部分に用意された新しい空間には、ヴォールト天井その意匠と、アーケードとしての機能を引き継ぐ、若しくは写し取ろうという意図が感じられます。三信ビルのアーケード2階の回廊部分の手すりの意匠も復元されていました。回廊は機能的に設置できなかったようですが。
ただ、なにかそこには落ち着かないものを感じます。天井高とスパンのバランスだろうか。結果、アーケードとしての機能というよりも、その風情を残した広大なエントランス空間としての機能が期待されているのかも知れません。
日比谷の映画街の昔、先代の宝塚劇場、薄らと漂う記憶とともに東京ミッドタウン日比谷の地上のエントランスを出る。ゴジラのモニュメントの脇をすり抜けJRのガードに抜ける。
なんと、ゴジラは代替わりしていたらしい。
その先の定食屋、いわさきさん(名前は忘れていた)の前では経営者と思われるご夫婦が立ち話中。先輩に案内されて、日比谷公園の向こう側から訪ねてきたのを思い出す。
そうそう、そういえば、もう二筋ばかり新橋よりにあったいわゆる純喫茶(通り沿いから銘品らしきカップが見えていた)はなくなったような気がするが、再開発の脇で、時計がとまったような一角が残る。
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