旅行・地域

2016年10月23日 (日)

学芸員的視点 その2

学芸員資格に関する課程をすべて修了し、無事単位取得となったことにより、かねてから企てていたプランを実行に移すこととした。
博物館で尊像とお会いするもあるが、お堂の中で拝見することは、そこに企図された仏の世界として感ずることにも通じる。
日本美術史にも挑戦したこともあり、修学旅行生とは異なる視線で尊像のお顔を拝みに、奈良を目指した。結構、緻密に行程を組み立てたつもりだが、よくある話で、計画の半分を実行できたかどうかというところ。

法隆寺の救世観音立像を拝見するにはタイミングを失したが、百済観音立像はその朝鮮半島風の様式に吸い寄せられるものがある。五重塔の内陣の塔本塑像にもこだわりがあっただが、手が届きそうだが遠いので、かろうじて、印刷物のイメージと重ね合わせる。東大寺では、まっすぐ法華堂を目指す。不空羂索観音立像を中心とした諸尊とお会いすることが目的である。また、平等院鳳凰堂に隣接する鳳翔館では、鳳凰堂にあることが極楽浄土を表現するとともに、阿弥陀如来との来迎の姿を表す雲中供養菩薩像を間近で見ることが出来たのは収穫であった。

付言すると、訪れたお寺は基本的に撮影の規制があり、その意味での収穫はないが、その分その表情を拝むことにもなった。
修学旅行の時はどうだったろうか。遙か昔のことではあるが。

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2016年5月31日 (火)

鎌倉*旧華頂宮邸

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これまで、何度か訪れることになった。
その来歴もさることながら、その立地は鎌倉にはよく見られる「谷戸」と呼ばれる深く切れ込んだ谷地であって、そこには常に風が吹いている。少なくとも訪れるといつも。

無性に、そこに自分を置きたくなるときがある。運が良ければ、周囲を取り囲んでいる、木々の梢を吹き抜ける風の音を独り占めにできる瞬間がある。その瞬間は、他者との干渉は生まれない。
風と語るだけ。これも鎌倉の個性かもしれない。

2016_0519__03タイミングがあえば、鎌倉駅西口の竹扇さんで「日替わり丼セット」で昼食を済ませる。本日の丼は、しらす丼の頻度が高そう。蕎麦は選択できるのがうれしい。限定なので間に合うときだけ。

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2015年11月30日 (月)

草津の湯

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年に一度か、二度、誘い合わせて温泉の旅に出る。
一年の内、何度か骨休みを入れることが、モチベーションを高めることにも繋がるような気がする。今回は、手軽な旅をコンセプトに、おひとり様で草津の湯を目指した。バスの格安送迎で有名な、おおるりグループのシステムを利用してみることにした。

草津に向けてのスタートは、池袋を9時に出発する座席指定のバスに乗車する。利用客の数によって運行経路に違いがあるようだが、その他主要な出発地から集まるバスは高速道で群馬を目指す。目的地は、草津手前のおおるりグループ経営のドライブイン「田吾作」である。当日は11時20分に到着。途中、高速道SAの休憩をはさんだが、そう長くは感じない。

そこで、有名な「乗り換え」が発生する。最終目的地である草津と「田吾作」の間を往復するバス便が設定されており、各地からのバス便を降り、乗り継ぐことになる。帰路についても柔軟に組み替えが行われ、出発地、予約客数によっては、高速道SAでの乗り換えもあるらしい。他の営業拠点への送迎を含めて、これが毎日整然と行われている情景を想像すると、一種驚きでもある。

ここで乗り継ぐ草津行きのバスを待つ間、ドライブイン「田吾作」で昼食をとることもできるようにセットされる。ちょうど道の向かい側に道の駅おのこがあり、迷わずそちらを目指す方々もあるが、これは回を重ねたベテランのようだ。

草津まで向かうバスは4便設定されていたが、こちらは自由席となる。とりあえず早く現地入りしたい向きは、早いバス便に乗車するために、案内される集合場所に自主的に列をつくる。列に加わり、12時に出発する第一便に乗ることが出来た。

大小のバスが交錯していたが、とりあえず第一便のバスはマイクロバス、きっちり乗車定員まで乗車して、「田吾作」を発車する。いろいろと評価があると思うが、誠に無駄がない。草津は目の前で、狭い車内もそう苦にならない。湯治の団体客の一員になった気分でもある。温泉地を目の前に、車内の高揚する雰囲気が伝わってくる。

草津にはおおるりグループのホテルが三つ営業しているが、バスは、宿泊客を順次降ろしていく。今回利用するのはホテルおおるり。13時20分に到着。池袋から4時間余りだが、休憩時間も多く、疲労感はない。

チェックインを済ませ、昼食のため温泉街で蕎麦屋を物色する。ともかく一度暖簾をくぐって見たいという店には、行列が延びており、タイミングが悪い。いずれまた、というところか。

2015_1129044e_2温泉街の中程にある「大野屋」さんに入る。蕎麦の味に講釈を述べる実力は持ち合わせていないが、「ソースかつ丼のそばセット」は十分に満足できた。1100円なり。舞茸天が脳裏を過ぎるが、それはそれ、またの機会に。そばつゆの味も、蕎麦の喉ごしもよいと思うが、ソースかつのレベルが高かったことは書き記しておこうと思う。その厚さとジューシーさは、これまでのソースかつ丼のイメージを変えるものがあった。ソースの味がやや甘口なことと、もう少し柑橘系のテイストが欲しいところは個人的趣味だろう。

2015_1129022e草津の湯を探訪するのは、初めてではない。
外湯の探訪など楽しみは多いが、今回は、宿の内湯の他、町営の御座之湯、大滝乃湯を訪ねた。

大滝乃湯の合わせ湯という仕組みは面白いのだが、大浴場で十分温まった後では、最初から45度程の湯船がちょうど良かった。湯船に浸かり、時間を忘れるとはこのこと。白旗源泉の脇に再建された御座之湯の二階には、無料で休憩できる大広間があり、座布団を枕に横になることもできる。

2015_1129028e宿の夕食を終えた後、部屋で一休みしてから御座之湯のある湯畑まで出掛ける。ちょうど客が途切れた、源泉が異なるふたつ湯船にしばらく浸かった後、帰り支度を整え、二階の広間に上がった。しばらく横になっっていると、湯の中で解き放たれた、心や体の強ばりの分だけ、心や体が軽くなったことを感じた。それは、少し自由になったということ。温泉地での時の過ごし方を学んだような気がした。
共同浴場は19箇所のうち、旅行客に入湯が許されているのは3箇所のみと聞く。観光地化が進み、マナーの問題があったようだが、追って機会を見てということに。

2015_1129026e最後に、宿の食事については、おおるりグループとして、その評価に数多情報があるのでここでは触れなくてもよいと思うが、考え方しだいでは特に気にすることはないだろう。その評価はプラスもありマイナスもありである。特に家族、グループで宿泊すれば、会話の中でことさらそれに触れることもないだろう。ただ、おひとり様では、食事時に世間話をする相手もいないので、バイキングの内容に関心が向くのは仕方がない。

ともかく、そのほかの旅のエッセンスと併せれば、総合点ではプラスでよいというのが実感。チェックアウトの際、バス代含めて支払いを済ませた金額を見ても、そう思う。

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2015年10月14日 (水)

川越まつり 2015

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(2014川越まつり)

目の前に迫っていますが、今週末、17日18日と、今年も川越まつりが開催されます。
どこからともなく聞こえてくるお囃子に、身体が共鳴するするのを感じながら、夜風に吹かれて、街中をそぞろ歩く。そんな季節感が身体に染み入っています。

川越の街は、日中から、夜の曳っかわせの盛り上がりまで、記憶に残る表情があると思います。お立ち寄り下さる際には、「川越まつり公式サイト」をご覧の上、お出掛け下さい。

なお、山車の巡行、曳っかわせなどに遭遇する際には、少なからず見物客が滞り、身動きがとれなくなることがあります。それも又、まつりの盛り上がりだと思いますが、ベビーバギー等を利用の場合には工夫が必要かもしれません。

追伸、 2015川越まつり 当日の記事を、風の休日 にて掲載しています。

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2015年9月25日 (金)

日高*高麗川_曼珠沙華

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八高線の高麗川より、曼珠沙華の群生地として有名な巾着田を目指す。街中の幹線道路沿いに、片道3km程だろうか。バス便もあるものの、待つまでもない、ちょうど良い散歩道だろう。

現地では満開になっているとの報道もあったせいか、埼玉の行楽地でこれほどの混雑があるものかと思わせる程の見物客である。そして、木立の中に一面に咲き誇る曼珠沙華は、里山の路肩やあぜ道などに咲く、そのイメージとは異なる世界を見せている。

カメラマンにとっては、その使命感をかき立てられるだろう。ただ、曼珠沙華の見事な群生であるがゆえに、その一面の赤い色調をどう表現するのかは、難しくもある。全体的な露光はもちろん、木々との構図のバランス、地平線の構図上のレベル、茎のみどり色のアクセント、一部に木漏れ日が当たる露光のグラデーション、前後のボケを意識した接写をするにしても、背景の選択は。
いろいろとトライするが、凡庸になることがもどかしい。しかし、いずれにせよ、この被写体と向かい合えることに感謝したい。

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2015年4月21日 (火)

日光*旧田母沢御用邸の春

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季節を選んで、何度か訪れることになった。
来歴は、過去の記事でも触れているが、大正天皇のご静養のために造営されたことが知られている。樹齢400年ともいわれるしだれ桜の咲く頃に、旧御用邸の春を見たくて訪ねることにした。
日帰りでは気忙しいのだが、その他の目的も果たし、夕刻前には日光を後にする。

遅めの昼食は、東武日光駅近くの路地にある「そば処山六」さん。
観光地だけに、いわゆる「名店」はあるのだろうが、こちらの雰囲気は、普段使いの、いわゆる街の蕎麦屋さんである。とりたてて個性的な味という訳ではないが、個性が際立たないのも個性と言える。どこか安心できる味かもしれない。

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今回は、予定より大分歩き回った後だけに、やや重めながらカツ丼に手が伸びる。そして、「ミニたぬき」なる「張り紙」を見つけたもので追加をする。これは勢いだが、締めて750円也ということ。
表の通りから差し込む陽も明るい、どこか落ち着く店内で、こざっぱりとした丼や蕎麦を頂く。そう時間をかけずに食べ終え、お代を渡しながら、ひと声、「ごちそうさま」。そして、目の前の東武日光駅に向かう。それでいいのだろう。
冬に訪れる機会はなくもない。鍋焼きうどんもいいかなと、壁の木札のメニューが気になった。

 

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2014年11月 8日 (土)

旧日光田母沢御用邸のこと

 

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日光の紅葉のたよりが、いろは坂を下ってきたことがニュースになっていた。脳裏を過ぎったのは、若葉の頃、一度訪れたことがある旧日光田母沢御用邸のこと。

早朝の快速電車で、日光を目指した。

紅葉の見事さもさることながら、建物としての来歴が興味深い。
宮内省内匠寮の木子清敬と木子幸三郎の名前が現れる。

明治32年に嘉仁親王(大正天皇)のご静養先として、銀行家として成功した地元出身の実業家、小林年保の別邸敷地に旧紀州徳川家中屋敷の一部と新築部分を加えて創建される。その後の増改築を経て、大正10年には現在の姿となる。

江戸期の旧紀州徳川家中屋敷、明治期の小林家別邸、新築、大正期の大規模増築、各々の歴史を建物の各所に纏いながら、大規模改修を経て、その姿を残している。

ただ、東照宮の旧御別所(社務所)大楽院の建物を使用して、それ以前に、日光に御用邸としての機能は存在していたということ。その来歴については資料が少なく、概略にて。

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2014年10月 7日 (火)

鎌倉*旧華頂宮邸あたり

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この秋の内部公開に合わせ、台風の接近を控えた土曜日、鎌倉を歩いた。

鎌倉市浄明寺の奥に、その佇まいはある。

その由来は、伏見宮家の分家にあたる華頂宮家は、4代博忠王の薨去後、断絶していたところ、1926年(大正15)に3代博恭王の第三子博信王が臣籍に下り、華頂の姓を賜り、伯爵を授けられ祭司を引き継ぐことになった。そして、1929年(昭和4)、華頂伯爵邸として建てられたもの。

現在、その所以から旧華頂宮邸と呼ばれている。 伯爵夫妻が住まわれたのは、ごく短い期間だったという。その後、所有者が度々代わったということなので、外観はともかく、壁紙などの内装はオリジナルの風情は望むべくもないと思いつつも、鎌倉を訪ねた。

020141004_0026外観は、玄関側、庭園側のファサードは、そのハーフティンバーの意匠から、設計者と施主の意向は感じ取れる。内装は、後年の改装を思わせるが、照明器具や窓枠には、時代を感じさせるものが残っている。その窓から望む景色は、八十数年前と同じなのではないだろうかと思える。

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各室とも、オリジナルの内装をイメージするのは難しいが、玄関ホールの二階部分、玄関側に向けた窓からの採光が印象的だ。ホールの壁の塗装は、大変個性的で驚かされるが、その後の所有者の意向によるものだと確信できる。天井の構造はどうだろう。構図として、オリジナルを残しているとすれば、興味深い。

帰路の横須賀線の車中、駅の観光案内でもらったマップの裏に、鶴岡八幡宮境内にある鎌倉国宝館の記事があるのを見つける。設計者に岡田信一郎の名前がある。市のHPによれば、鎌倉国宝館は、昭和3年の開館とある。大正12年の関東大震災による被害を契機に設立が計画された。先ほどの旧華頂宮邸は昭和4年である。常々感じることではあるが、大正12年の大震災は多くの人々の生き方を変え、日本の舵を切らせたとも言えるのではないか。

次の目的は鎌倉国宝館で時間を使うことに決めた。 ウォーキングとして、距離は稼げないが。

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2014年8月27日 (水)

閑話*8月最後の踊りの熱気のこと

全国各地には、この時期夏まつりや盆踊りがあって、地域の方々の祈りが込められている。8月も終わりに近づき、カレンダーをにらむと、高円寺の阿波おどりが目にとまった。阿波おどりそのものは、むろん徳島のものだが、この時期各地で企画されている。高円寺に足を運ぶのは初めてである。

越中八尾のおわら風の盆、郡上おどりのような「静」とは対照的な、「動」の代表的な群舞は、演者の気迫が伝わり、観客をも魅了する。

大通りを進む群舞も圧巻なのだが、狭い商店街を進む会場設定もされており、いつの間にか鳴り物と、踊りの流れに巻き込まれた世界が一帯を支配する。

正直、もう少し型にはまったものをイメージしていたが、各グループ(連)とも個性的な工夫が伝わる。静と動や、緩急を取り混ぜ、列の調和を崩し、組み直し、その意外性に観客の興奮は高まる。

やや、意外ではあったが、太鼓や鐘の鳴り物が多い反面、阿波おどり固有のイメージにある三味線の影が薄かったように思う。数多く拝見しているわけではないのだが、是非とも、本場徳島県で、街の熱気とともに鑑賞してみたいと思わせる。

もうすぐ、越中八尾のおわら風の盆だろうか。

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2014年7月 9日 (水)

最後の山手線停車場のこと

文字通り、山手線最後の停車場となる新駅について。

新たに、人が行き交う大規模なエリアが出来る話で、夢を膨らませ視点は数多ある。その他にも、オリンピックの開催まで、いろいろなことが起きることだろう。

東京の姿もいつの間にか変わってゆくのか。

とりあえず、今回はその新駅の名前の選定について。
その選定方法も含め、これからの話しらしい。

それならば、個人的な思い入れを語っても怒られそうもないので、ひと言だけ。もと地域住人であったことだけが、その感性の根拠なのだが、山手線最後の停車場であることに思いを寄せて。

「高輪泉岳寺」では如何だろう。

他の駅とは、語感が異なるが、ここに山手線最後の停車場として、江戸から引き継いできた東京という都市の個性の一部を、その名に体現させる試みがあってよいのではないか。例えて言うなら、鉄道唱歌の痕跡を残すことに意味はないだろうか。最近散見される、複数地名を連続させるネーミングは、最後の選択であって欲しい。

何年かの後、山手線の車上の人となり、「次は高輪泉岳寺です」と車掌さんのアナウンスを聞くことを想像する。つり革につかまり、レールの響きを感じながら、その歴史と風景がイメージされないだろうか。新幹線停車駅の隣りに、歴史を語る駅名が生まれ、地域のアイデンティティーと共存する最先端のエリアが生まれることを想像する。そういう都市の顔があってもよいのでは、そう思うのだが。

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