経済・政治・国際

2013年5月 3日 (金)

「憲法改正」は誰のため

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憲法記念日です。

憲法改正について、まずは第96条の手続き論として、与党がその議論を先導しています。

基本的な立場として、戦後のその果たしてきた役割を評価するもので、「占領下の制定憲法」であることにその権威を否定する論議は、改憲論議の本質ではないと考えます。

国民投票制度のハードルがその前提とされていますが、有権者全体に対する「最低投票率」という概念を排除している中、国会における改正発議そのもののハードルを下げること自体には極めて慎重です。

硬性憲法の枠組みの中で改正が実現できないこと、若しくは政治の場面でその取り組みを怠ってきたことを、第96条を改正し、性格を変えた軟性憲法の下で実現させようとすることは、国民生活にどういう意味をもたらすか、十分な検証が必要です。

2007年に記事を書いていますので、引用します。

「憲法改正」は誰のため 

「憲法改正」は誰のため その2

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2012年12月22日 (土)

雑感*政権交代のこと

3年ほど前、国民の熱気が政権交代を演出した。
そして、この年末に行われた選挙では元の枠組みが再現された。ただ、この3年余の経験は、国民にも、政治家にも勉強を強いたと思いたい。

多くの課題が顕在化するなかで、いくつかの雑感を抱く。
歴史や精神文化の異なる西欧で見られる、二大政党制の虚像に拘泥すべきだろうか。多くの死票の上に成り立つ小選挙区制にも、見直し論が高まりつつある。

そして、些末なことだが、前与党議員が好んで多用した言葉が気に掛かっていた。目前の課題に対して「しっかり」やりますと繰り返す。至極当然のことで、そう言われて、ネガティブに捉えることはないが、同時に、それは、取り組む姿勢とプロセスにすぎない。その結果に対してどう責任を果たしたのか。それが、よりビジュアルでなければ何の意味もない。また、結果において方針転換を招いたのならば、総括されなければ未完なのは明らかである。

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2009年9月 7日 (月)

官僚たちの夏

戦後の通産官僚の姿を描いた、城山三郎氏原作のドラマが話題となっていますが、その根底に流れる戦後政治の川の流れが、瀬替えを強いられる夏となりました。

様々な、戦後政治の残滓が浮き沈みするよどんだ川の流れは、新たな川筋に瀬替えされることとなり、着工の準備が始まったというところでしょうか。ある意味、国家プロジェクトと言えるのかも知れません。工事の進捗を見守る仕事は続きます。何事も無かったかのように、よどみなく流れる川の流れを想像しながら。

内橋克人さんの「匠の時代」という連作の文庫本を、書棚から取り出しました。20数年ほど前の発行ですが、私の書棚には10巻まで。
戦後、高度成長期頃までの、日本の産業のエネルギーを感じさせてくれるエピソードが綴られていますが、物を作り出すということへの、日本人の情熱と拘りが伝わってきます。社会人となったころ、まるで畑違いなのにもかかわらず、一気に読み進んだ記憶があります。

その時代のエネルギーは、市場や経済環境がバックボーンにあったとしても、現在でも、国民性として持ち合わせているポテンシャルを信じさせてくれるものがあります。

そんなことを思う夏となりました。

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2009年5月27日 (水)

雑感*新型インフルエンザのこと

昨日、通りすがりに、都心のターミナル駅付近にあるドラッグストアをのぞいて見ましたが、品切れ、入荷日未定であったマスクや消毒液が再び出回っていました。地域の事情は異なるとしても、やや、落ち着きを取り戻したところでしょうか。

企業の社内備蓄や、ネットオークションに出品して差益を狙う個人的な購買もあったようですが、いかに自由経済とはいえ、結果として、個別の対応を試みた一般家庭に、不安と混乱をもたらしたことは事実でしょう。供給能力が上回っていればいいだけの話かもしれませんが、自主規制、若しくは行政による介入が必要なケースがあるかも知れません。

マスクについて見れば、発症している方が、自らウイルスを拡散させることがないよう使用することに、第一義的なメリットがあることが言われますが、この点も、当初の厚生労働省の広報では明確ではなかったことが、混乱の要因のひとつであったと考えます。個別の家庭において、外出時のリスク削減を図ることに異を唱えるものではありませんが。

水際対策に軸足を置いていたことは、秋口の流行時期を前に早急に総括する必要がありそうです。潜伏期間の関係上、発症がないまま入国するケースについては、保健所等の追跡調査も行われているようですが、その後の発症の有無の把握については、完璧を期しがたいのも事実でしょう。発症を前提にした国内医療への軸足のシフトも指摘されますが、政府が予定した発熱センター・発熱外来の枠組みで処理できる段階は、ごく初期に限られることも明らかになったように思います。罹患した場合、重篤化の可能性が高い方々への迅速且つ積極な対応が鍵であるように感じられますが。

報道においても、パンデミックという言葉が一人歩きしている感がありますが、一般市民が、感染のリスクを理解しながら通常の経済活動を維持するためには、必要時に、実際に機能する医療体制の構築と、一般家庭においても、前述の衛生用品等の入手に差し支えが生じないと理解される(信頼される)ことが、前提条件となると考えます。

政府は、その前提条件の整備とともに、網羅的な感染事例の広報ではなく、適時に対応の指針を指し示す、整理された情報を提供する責務を負っていることは明らかなことでしょう。

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2009年5月 3日 (日)

雑感*GWにとりあえず

空前のGWに突入し、高速道路も予想どうりですね。
本日、園芸用の薬剤を物色に、チラシの入った近所のホームセンターに出向きましたが、畑や庭いじりの方も多いらしく、驚くほどの盛況でした。

どうにか間に合わせた、高速料金のディスカウントの効果が発揮されるかと思っていましたが、GWの過ごし方にも結構棲み分けがされたようです。

週末と祝日のみ、普通車等に車種限定で2年間の期限付きといういう、とりあえずお試しコースのような景気対策ですが、使えるうちに使いたいのも人の情ですね。

しかしながら感ずるところ。
石油燃料の消費を督励する結果となるけれど、CO2問題はひと休みということなのかな。高速代で余った旅行予算が、サービスエリアの活況に繋がっているとの報道もあるけれど、高速を降りた後に、目的地での消費は増えているのだろうか。期限の2年間を通じて、週末には、これだけの活況が続くものなのか。景気対策としては、物流コストへの寄与が考慮されていないのは、どうなんだろう。日常の運行でも高速を使わず、下道を走って、コストカットすることも常態とも聞くけれど、結果として物流に寄与できない高速道路の存在も割り切れないものがある。

高速料金1000円の効果として、繁忙期にJRの指定券が取りやすくなったり、割引切符等の販売に繋がったことは、個人的には評価していますけどね...(^^ゞ

とりあえず、1000円で行きたいところまで行った後は。
景気対策としての補正予算の審議が続きますが、政策の相乗的、総合的な効果を見込んでいいものなのか。単なる各省庁からの予算請求の積み上げでなければいいのですが。予算消化の実績以外には、個別の政策の巧拙、当否等は分からないことになるでしょうけれどもね...(¨;)

市民目線ですが、とりあえず、消費税の税率を(時限で)下げてみることが、消費マインドの改善に寄与しそうに思えます。1%あたり2兆3千億円位でしたか。そんなご意見も散見されますが、国内消費の喚起という点から見れば、広く、顕著な効果が出そうですけれど。

政府として思いつく限りの玉を投げる前に、欲しかった視点ですが、財務省が絶対動かないと言われるところですね...(¨;)

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2009年3月 5日 (木)

雑感*東京中央郵便局のこと

鳩山総務大臣の指摘により、旧局舎のその文化遺産的な価値に再び視点が当たっていています。
昭和6年竣工のモダニズム建築として定着した評価があったものですが、JR側の出入口から階段を上り、何度か事務スペースにお邪魔したことがありました。その事業に特化した建物の空気感に触れることができました。

文化遺産としての復権は支持できるものの、その歴史は、鉄道の存在が欠くべからざるものであったことを考えると、その単体での存続という観点に止まらず、東京駅との一体的な景観として捉えることが重要であると感じます。(日本郵政の計画では「東京駅前広場からの景観に配慮して、できる限り保存、再現する計画です」との表現)

東京駅の保存は、単なる文化遺産ではなく、機能を維持したままの施設であることに意義を感じますが、東京中央郵便局の旧局舎としての保存もまた、その事業の一端を継続することが不可欠であろうと感じます。別な言い方をすれば、その意味で「現役」であることが、文化的遺産としての価値を不動のものとするのかもしれません。

東京駅は、周囲を高層ビルに包囲されてしまいました。
その駅舎やホームは、深い谷間の底に舞い降りた鳥が、翼を広げているようにも見えます。旧局舎側に低層なスペースが残れば、その一連の景観として、閉塞感が少しでも緩和されるような気もするのですが。

しかしながら、そこには郵政民営化の現実が横たわり、不動産の有効活用が、経営資源として有力視されるのも当然のことでしょう。

ここで不幸なことは、先の国会における民営化論議が、必ずしもその必然性を敷衍出来ないまま、事業の分割を伴って実行されたことかもしれません。未だ、四分社化の意義についても論議が尽きない中、事業経営における効率性の追求と、国民に対する全国ネットワークを基礎とした小口金融としての利便性や、安定した郵便事業の提供という組織命題の狭間で揺れているようにも見えます.

この潮流の中で、結果として国民が何を得て、何を失うことになるのか考えさせられるところです。

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2008年11月29日 (土)

雑感*裁判員制度のこと

本日、昨日28日に発信されたという
「裁判員候補者名簿記載通知書」は届きませんでした。
とりあえず、今週末は安心しました。正直なところ。

最高裁のPRや、制度導入を推進する立場からの立論は見る機会がありましたが、市民としての責任を担うことを前提にすると、どうも、いまひとつ合点がいきません。

選任された場合に果たす役割を考えるとき、それは司法の足らざるところを補うことなのか、そこに新たに創設される制度のために下すべき判断なのか、制度導入のための枠組みを含め、結局、それが刑事裁判の当事者(被害者を含めた)のために資することになるのか、市民に対して司法権の一端を委ねることとなる国の制度的展望が、どこに焦点があたっているものなのか、明確には伝わらないと感じています。また、市民の司法参加を求めるという法曹三者の責任を、改めて感じるところです。

ネガティブなことばかりを言うつもりはないのですが、
裁判官(+一市民) VS 一市民 という関係で司法の場に立つということには、極めて慎重な立場です。...(¨;) 

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2008年11月16日 (日)

雑感*それは誰のためか

更迭された前航空幕僚長の歴史観発言、改憲発言、独自の自衛隊の組織論等について各方面で取り上げられています。
一国民としては、同氏の在職時の行為について、その地位、職責を考えると、驚愕、疑念、怒り、落胆、虞など、様々な思いが交錯するところです。

戦後63年を経て、今何故、自衛隊という実力部隊の指揮官が、一公務員としてその独自の歴史観を公の場で振りかざしたのか。
歴史の教訓として私たちが保持する文民統制という枠組みを潜脱するかの行為は、結局、それは誰のためなのか。
自らの職務に関する閉塞感の発露と言えるのか。
実力部隊の独善的な価値判断が行き着く先には、いったい誰のための価値が残るのか。等々

現職幹部自衛官の、政府見解を逸脱した政治批判として否定的な見解が多くを占める中、この流れを某独裁国家に例えたのは、同氏自身の混乱ぶりとも映りました。

また、以前からの隊内における同氏の発言が明らかになりつつありますが、歴史観を含めた自説の展開が、防衛省内で、また、政府与党に対してどの程度許容されるかを計っていたようにも見えます。

そこから見えることは、その職に就くことの適格性に疑問があったということですが、任命権者たる防衛大臣、事務次官の見識が問われるところでもあるでしょう。

*追記* ネット上で、同氏が懸賞論文に応募し、最優秀となった論文の全文を読むことができましたが、前述の一般論では済まないものを感じます。

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2008年11月13日 (木)

閑話*埋蔵金の使い道

まだ、名称も定まらない生活支援のためといわれる給付金。
自治体の首長からも様々な意見が出されています。
総務省に実施本部が出来たそうですが、若手の職員が、パソコンを睨んでいる図柄だけがニュースで流れていました。

消費税の予告増税分を、僅かばかり事前に還付して貰うような気もするし、生来、素直じゃないもので、妙な気分でもあります。

貰って嬉しくないわけでもありませんが、生活支援ならば対象や金額からは形ばかりに映る上、消費行動の喚起ということならば、1回限り、乾いた道路にじょうろで水を撒くようなやり方では実効性も疑問です。それで、これだけのボリュームの税金を費やしてしまうのは、どうも惜しいような気がします。

与党自ら存在を否定するところの「埋蔵金」を当てるのならば、恒久財源論の障壁が伴いますが、追い詰められた医療、社会保障の立て直しのために使えないものかと思います。

社会保障政策の立て直し、安定化への取り組みは、根源的な景気対策とも評価されるとともに、少子化対策に繋がるものだと思うのですが。

夏のアスファルト道に撒く水のように、一瞬の潤いに消えるには、この借金財政の中で割り切れないものがあります。そこから生まれる不利益も、結局、国民が担うのですけどね。

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2008年10月10日 (金)

雑感*体育の日のこと

今日は10月10日、体育の日か。
未だにそんな気がします。

その沿革は明確であり、いまでもたやすく調べることが出来ますが、現在、国民の祝日に関する法律で定める「10月の第二月曜日」の意義については、積極的な説明を試みることは空しいことかもしれません。ハッピーマンデーという言葉も、今や死語かもしれない。

国民の祝日に関する法律をひもとくと、特定日ではなく、同じような曜日指定の休日が散見されます。改正当時、国民のアレルギーも少なく、たやすく連休による経済効果を期待できる方策として与野党ともに取り組んだようですが、見直しの機運も感じられます。つい最近、朝日新聞の投稿欄に中学生だったと思いますが、その意味について疑問を投げかける投稿があったのも新鮮な驚きでした。

同じく、成人の日も、「1月の第二月曜日」と便宜的に変更されました。確かに地方の実情で、様々な成人式の設定もあったようですが、成人の日は1月15日でした。これにも沿革があるわけですが、便宜的な位置づけに変わってしまいました。単に休日である前に、成人の日であり、社会が新成人を祝い、励ます日であることがその存在意義があったと感じます。私の時も、成人式以外とくに何があるわけでもありませんでしたが、そこに生きていく上での区切りを感じたのも事実です。

国民の休日に曜日指定を導入したことは、祝うための存在意義を自らどこかに置いてきてしまったような気がします。曜日指定の休日を迎えると、感じることです。

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