建築と歴史

2017年3月29日 (水)

アーカイブス 東京駅復元 2012

■ギャラリー「風の休日」に掲載(2012.12.31) 
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蘇った東京駅の姿を、今年最後の投稿とします。

写真でしか見たことがなかった南北のドームのインパクトが大きい。
リアルな存在として目前にしているのが不思議でもある。
人の往来する場として成長し続けるダイナミズムを内包し、丸の内には明治の姿を残すことに。

復元工事前の姿(2005年当時)と比較しておきたい。

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アーカイブス 高輪*建築の幻影 2

■ギャラリー「風の休日」に掲載記事(2008.5.18)2008_0508dscf0027
前回の、高輪*建築の幻影は個人的思い入れですので、ー度だけと考えていましたが、別角度のショットをもう一回だけ、その2です。

詳細は、前回の投稿に譲りますが、写真正面が、品川駅前のホテルパシィフィック東京になります。
この斜面に水路(らしき景色)は続きますが、その先には高輪南町御用邸がありました。
傾斜地の下にある石組み(建築の風景*高輪の幻影 前・後編)まで続いていた水路は、傾斜地の途中の湧水を、その直下の池に導いたように思えます。
その敷地を包含していた薩摩藩下屋敷の建築物の配置は材料がありませんが、その配置が、残された地形の造園に何かしらの影響を及ぼしていることは確かでしょう。
この造園の痕跡がどこまで遡れるものなのかが、関心の的です。
その鍵は、やはり木子文庫にあるのですが、個人的に、すっきりできたら報告できると思います。

課題を残しているのですが、それもまた楽し...(^^ゞ

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アーカイブス 高輪*建築の幻影

■ギャラリー「風の休日」に掲載記事(2008.5.9)

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去る5月4日に、清正公大祭に合わせて高輪を再訪。
幼少期には、子供の日に絡むお祭りなので、年中行事として楽しみでした。
その後、川越の住人となってからも、近隣の散歩をすることが目的で、このような機会を見つけて時折訪れます。

ここは品川駅前の一角にある「高輪森の公園」というところ。
薩摩藩下屋敷から高輪南町御用邸までの歴史をまとっているところです。
何度か訪れることになりましたが、敷地内の樹木が整理されたとともに、少し荒れてしまったようで、その全体を包み込む空気感が失われたようです。

写真はその一部ですが、傾斜地にある公園の頂上付近から、枯山水のような遺構が続き、その麓にあたる公園の正面部分には、思わず歩みを止めるような大きな石組みが残ります。
それは、斜面途中からの湧水を、水路に沿って導いたように見えます。(写真の右から左へ。)

ネットフェンスの向こう側には、切り取られた敷地が続いていたわけですが、水路を渡る飛び石は、その奥まで続いていた様にも見えます。
また、頂上部分には東屋の痕跡を見ることができます。それは、小石の混ざった洗い出しのような床で、掘っ立て柱の跡が残る...。

散策の途中、東屋から飛び石を渡り、ネットフェンスの向こう側に続いていた敷地の奥に向って散策する、当時の主の後姿が見えるようです。まるで幻影のように。

当blogの本店である「川越の風」で、「建築の風景*高輪の息遣い2」を纏める際に、歴史の痕跡を探し歩いた折、出会った場所です。その後、「建築の風景*高輪の幻影(前・後編)」で一歩踏み込んで触れてみました。

四方を、それぞれの地権者に囲まれたこの小高い丘を中心とした公園は、明治以降の歴史のうねりの中で取り残されたポケットのようです。
詳細な考証があってしかるべきかと思いますが、今のところ、ほんの入口程度で...(¨;)。

少し落ち着いたら、ディテールをもう少し掘り下げる...つもりです。
それにしても、月1ペースか...(^^ゞ

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2016年8月18日 (木)

鎌倉*八幡宮の夕べ

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8月7日

鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りに出向く。
腕に覚えのある方々が献灯されている。

各々のぼんぼりにはメッセージがあり、
ついぐるりとひとまわりしてしまう。

明るいうちに参拝は済ませておいてから。

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2016年5月31日 (火)

鎌倉*旧華頂宮邸

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これまで、何度か訪れることになった。
その来歴もさることながら、その立地は鎌倉にはよく見られる「谷戸」と呼ばれる深く切れ込んだ谷地であって、そこには常に風が吹いている。少なくとも訪れるといつも。

無性に、そこに自分を置きたくなるときがある。運が良ければ、周囲を取り囲んでいる、木々の梢を吹き抜ける風の音を独り占めにできる瞬間がある。その瞬間は、他者との干渉は生まれない。
風と語るだけ。これも鎌倉の個性かもしれない。

2016_0519__03タイミングがあえば、鎌倉駅西口の竹扇さんで「日替わり丼セット」で昼食を済ませる。本日の丼は、しらす丼の頻度が高そう。蕎麦は選択できるのがうれしい。限定なので間に合うときだけ。

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点描*築地市場まつり

記事が途切れていましたが、言い訳は抜きにして、これはどうにか月内の記事にしようと思います。開場から81年を経過し、惜しまれつつも本年11月2日に業務を終了する築地場内市場に、5月3日開催された「築地市場まつり」を訪ねました。 2016_050301_2

2016_050309_3大正12年9月関東大震災で被災した日本橋魚河岸をはじめとする諸市場が、業者間の調整を乗り越え、昭和10年に東京市中央卸売市場としてスタートしたことが、都市機能のひとつの息吹となった。

2016_050312_2各種賑わいを見せる屋外のイベントをのぞいた後は、休業日でひとけのない、仲買の方々が店を連ねる通路をのぞいて回る。

2016_050308営業日の場内とは違う顔を見せているのは当然だが、その歴史を閉じるのが目前となった今、場内からは、人間の営みの精気が解き放され、人の息遣いが消 えようとしている。
そしてまた、そこには都市の脈動を感じる変化が訪れる。 (とは思いつつ、最後には、「築地市場まつり」の練り物詰め放題500円に挑戦して帰ることにした)

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2016年2月 8日 (月)

迎賓館の息遣い

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本年最初の投稿は、迎賓館の息遣いから。
本年4月からの本格実施が予定される中で、試験的な参観を実施しているとのこと。迂闊だったが、偶然、ニュース報道で知った。これまでは抽選制であったと思うが、あらかじめの応募によらないシステムということであり、画期的だと思う。

ジョサイア・コンドルに指導を受けた片山東熊が、明治天皇の皇太子の離宮を建設するため、欧米を歴訪調査して生み出した宮廷建築として歴史に名前を残す。

本館内は公式行事に使用される華麗な4つの公用室が順路となっている。現在は撮影不許可であるが、その空気感を感じることはできる。いずれ規制が緩和されることを祈りたい。

竣工以来、二度の大規模改修を経ているようで、オリジナル感を残す場面と、現役の用途が強く感じられる場面が混在するが、片山東熊と美術スタッフの息遣いを探すために、再訪を期したい。

(2016.3.23加筆)
内閣府のHPに、「平成28年4月以降の迎賓館赤坂離宮の公開について」と題した記事が発表されています。参観方式は、これまでの経験を元に新たな工夫があるようです。併せて、本館及び主庭の公開については、「有料化」が発表されました。博物館や美術館には入館料、寺社には拝観料がありますが、「行政財産」の公開と引き替えに、公開に関する経費は国民が負担するというロジックなのでしょうか、いささか違和感を覚えるのも事実です。

 

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2015年4月21日 (火)

日光*旧田母沢御用邸の春

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季節を選んで、何度か訪れることになった。
来歴は、過去の記事でも触れているが、大正天皇のご静養のために造営されたことが知られている。樹齢400年ともいわれるしだれ桜の咲く頃に、旧御用邸の春を見たくて訪ねることにした。
日帰りでは気忙しいのだが、その他の目的も果たし、夕刻前には日光を後にする。

遅めの昼食は、東武日光駅近くの路地にある「そば処山六」さん。
観光地だけに、いわゆる「名店」はあるのだろうが、こちらの雰囲気は、普段使いの、いわゆる街の蕎麦屋さんである。とりたてて個性的な味という訳ではないが、個性が際立たないのも個性と言える。どこか安心できる味かもしれない。

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今回は、予定より大分歩き回った後だけに、やや重めながらカツ丼に手が伸びる。そして、「ミニたぬき」なる「張り紙」を見つけたもので追加をする。これは勢いだが、締めて750円也ということ。
表の通りから差し込む陽も明るい、どこか落ち着く店内で、こざっぱりとした丼や蕎麦を頂く。そう時間をかけずに食べ終え、お代を渡しながら、ひと声、「ごちそうさま」。そして、目の前の東武日光駅に向かう。それでいいのだろう。
冬に訪れる機会はなくもない。鍋焼きうどんもいいかなと、壁の木札のメニューが気になった。

 

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2014年11月 8日 (土)

旧日光田母沢御用邸のこと

 

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日光の紅葉のたよりが、いろは坂を下ってきたことがニュースになっていた。脳裏を過ぎったのは、若葉の頃、一度訪れたことがある旧日光田母沢御用邸のこと。

早朝の快速電車で、日光を目指した。

紅葉の見事さもさることながら、建物としての来歴が興味深い。
宮内省内匠寮の木子清敬と木子幸三郎の名前が現れる。

明治32年に嘉仁親王(大正天皇)のご静養先として、銀行家として成功した地元出身の実業家、小林年保の別邸敷地に旧紀州徳川家中屋敷の一部と新築部分を加えて創建される。その後の増改築を経て、大正10年には現在の姿となる。

江戸期の旧紀州徳川家中屋敷、明治期の小林家別邸、新築、大正期の大規模増築、各々の歴史を建物の各所に纏いながら、大規模改修を経て、その姿を残している。

ただ、東照宮の旧御別所(社務所)大楽院の建物を使用して、それ以前に、日光に御用邸としての機能は存在していたということ。その来歴については資料が少なく、概略にて。

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2014年10月 7日 (火)

鎌倉*旧華頂宮邸あたり

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この秋の内部公開に合わせ、台風の接近を控えた土曜日、鎌倉を歩いた。

鎌倉市浄明寺の奥に、その佇まいはある。

その由来は、伏見宮家の分家にあたる華頂宮家は、4代博忠王の薨去後、断絶していたところ、1926年(大正15)に3代博恭王の第三子博信王が臣籍に下り、華頂の姓を賜り、伯爵を授けられ祭司を引き継ぐことになった。そして、1929年(昭和4)、華頂伯爵邸として建てられたもの。

現在、その所以から旧華頂宮邸と呼ばれている。 伯爵夫妻が住まわれたのは、ごく短い期間だったという。その後、所有者が度々代わったということなので、外観はともかく、壁紙などの内装はオリジナルの風情は望むべくもないと思いつつも、鎌倉を訪ねた。

020141004_0026外観は、玄関側、庭園側のファサードは、そのハーフティンバーの意匠から、設計者と施主の意向は感じ取れる。内装は、後年の改装を思わせるが、照明器具や窓枠には、時代を感じさせるものが残っている。その窓から望む景色は、八十数年前と同じなのではないだろうかと思える。

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各室とも、オリジナルの内装をイメージするのは難しいが、玄関ホールの二階部分、玄関側に向けた窓からの採光が印象的だ。ホールの壁の塗装は、大変個性的で驚かされるが、その後の所有者の意向によるものだと確信できる。天井の構造はどうだろう。構図として、オリジナルを残しているとすれば、興味深い。

帰路の横須賀線の車中、駅の観光案内でもらったマップの裏に、鶴岡八幡宮境内にある鎌倉国宝館の記事があるのを見つける。設計者に岡田信一郎の名前がある。市のHPによれば、鎌倉国宝館は、昭和3年の開館とある。大正12年の関東大震災による被害を契機に設立が計画された。先ほどの旧華頂宮邸は昭和4年である。常々感じることではあるが、大正12年の大震災は多くの人々の生き方を変え、日本の舵を切らせたとも言えるのではないか。

次の目的は鎌倉国宝館で時間を使うことに決めた。 ウォーキングとして、距離は稼げないが。

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