建築と歴史

2017年9月28日 (木)

興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」*東京国立博物館

初日に訪れた。
学芸員資格の講座を修める際、講師の先生から特別展の「初日」に訪れるのは賢明ではないとの助言を頂いた。そこには納得できる理由は存在するのだが、当日、同館で、「浮世絵の歴史」と題するギャラリートーク(分かりやすく言えば、専門家の解説と言うべきか)が予定されており、修了後、特別展も訪ねることにした。

種々の尊像は、それぞれに経典での意味づけ、それに基づくお姿の違いがあった上で、製作時期の時代背景、それを消化して造形化する仏師の感性の違いを感ずるべきなのだろう。

今回の特別展では、運慶とその後継者に関する時間軸上に焦点を絞っていることが成功しているように思える。講学上の網羅的な研究対象というよりも、その一時代をになった仏師の感性を感じさせる空間であった。

■展示内容
第1章 運慶を生んだ系譜-康慶から運慶へ
第2章 運慶の彫刻-その独創性
第3章 運慶風の展開-運慶の息子と周辺の仏師

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月10日 (日)

池之端*旧岩崎家茅町本邸

1709092017_090910

旧岩崎家茅町本邸が池之端に残る。
今となって見れば、それは奇跡に等しいかもしれない。
三度目か、四度目かと考えながら、過日再訪した。
訪れるごとに、その空気感も訪れる人々の視線も違うような気がする。

随分と前の話だが、一般公開が始まる前、以前の司法研修所を訪れた際、帰りがけに庭から洋館の室内をヴェランダの窓越しに見たことがある。警備の方に断ったのは、もちろんのこと。

現在は補修工事が施され、天候が良ければ、邸内には明るい陽が差している。洋館が木造の柔らかさを醸し出しているが、2階のヴェランダから、広大な庭を見渡せば(現在は国有地の他、一般の私有地として分割、縮小しているが)、当時のカントリーハウスを模した豊かさは想像に難くない。
ただ、洋館については、私的な生活空間とは捉えられず、和館との機能分離は明確であった。私的生活空間は、その裏に連なる和館のエリアであることが分かるが、その一部が、洋館との接続部分の広間として残されたが、これもまた奇跡であろう。取り壊された和館の生活生活空間に、主とその一家の息遣いを求めたいが、今はもう遅い。

(1994-7東京人「特集湯島岩崎家本邸全公開」を参照)
初代である岩崎彌太郎が、明治11年8月に田辺藩主牧野弼成の屋敷地を買い取り、その後も周囲の家屋を買い足す。牧野弼成の屋敷地には百一坪の平屋の母屋と数棟の付属家が配置されていたが、その八千五百四十余坪から、結果として彌太郎が当主の時に、一万四千四百坪まで買い進められた。彌太郎自身は、明治15年8月に駿河台より移り住む。明治18年2月7日に本邸で没する。
その敷地に、明治26年より三菱合資会社三代目社長を務めていた彌太郎の長男久彌が、コンドルの設計により(和館の棟梁は「念仏喜十」大河内喜十郎)明治29年8月に竣工させる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月10日 (木)

祈りのかたち 仏教美術入門*出光美術館

学芸員資格へのアプローチが、仏像ひいては仏教にも軸足があったので、当美術館の「祈りのかたち 仏教美術入門」をテーマにした企画展に心がひかれた。

以下は学芸員的な感性から。

ビジネスビルに収容された美術館で、天井が低いけれど、フロアの見通しはよい。そこに設定された展示室を回ることで、順路は確保される。

何より特筆すべきは、通常展示ケース内にある、カード形式のキャプションが、当美術館のオリジナルだろうか、半透明の樹脂板に印刷され、展示ケースのガラスに貼付されているように見えた。

展示ケース内にピン止めされているよりは当然、視認性が格段に優れている。その内容も、図版のビジュアル表現も持ち込み、意欲的な取り組みだと感じた。

展示ケース内の作品と、キャプションとの一覧性には議論があるかもしれないが、作品の全体像を把握する手引きだとすれば、作品を見る前段階として、キャプションにより導入されることは抵抗がない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月29日 (水)

アーカイブス 東京駅復元 2012

■ギャラリー「風の休日」に掲載(2012.12.31) 
20122012_1228__23_2
蘇った東京駅の姿を、今年最後の投稿とします。

写真でしか見たことがなかった南北のドームのインパクトが大きい。
リアルな存在として目前にしているのが不思議でもある。
人の往来する場として成長し続けるダイナミズムを内包し、丸の内には明治の姿を残すことに。

復元工事前の姿(2005年当時)と比較しておきたい。

20122005_12250068_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アーカイブス 高輪*建築の幻影 2

■ギャラリー「風の休日」に掲載記事(2008.5.18)2008_0508dscf0027
前回の、高輪*建築の幻影は個人的思い入れですので、ー度だけと考えていましたが、別角度のショットをもう一回だけ、その2です。

詳細は、前回の投稿に譲りますが、写真正面が、品川駅前のホテルパシィフィック東京になります。
この斜面に水路(らしき景色)は続きますが、その先には高輪南町御用邸がありました。
傾斜地の下にある石組み(建築の風景*高輪の幻影 前・後編)まで続いていた水路は、傾斜地の途中の湧水を、その直下の池に導いたように思えます。
その敷地を包含していた薩摩藩下屋敷の建築物の配置は材料がありませんが、その配置が、残された地形の造園に何かしらの影響を及ぼしていることは確かでしょう。
この造園の痕跡がどこまで遡れるものなのかが、関心の的です。
その鍵は、やはり木子文庫にあるのですが、個人的に、すっきりできたら報告できると思います。

課題を残しているのですが、それもまた楽し...(^^ゞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アーカイブス 高輪*建築の幻影

■ギャラリー「風の休日」に掲載記事(2008.5.9)

0dscf0029_3

去る5月4日に、清正公大祭に合わせて高輪を再訪。
幼少期には、子供の日に絡むお祭りなので、年中行事として楽しみでした。
その後、川越の住人となってからも、近隣の散歩をすることが目的で、このような機会を見つけて時折訪れます。

ここは品川駅前の一角にある「高輪森の公園」というところ。
薩摩藩下屋敷から高輪南町御用邸までの歴史をまとっているところです。
何度か訪れることになりましたが、敷地内の樹木が整理されたとともに、少し荒れてしまったようで、その全体を包み込む空気感が失われたようです。

写真はその一部ですが、傾斜地にある公園の頂上付近から、枯山水のような遺構が続き、その麓にあたる公園の正面部分には、思わず歩みを止めるような大きな石組みが残ります。
それは、斜面途中からの湧水を、水路に沿って導いたように見えます。(写真の右から左へ。)

ネットフェンスの向こう側には、切り取られた敷地が続いていたわけですが、水路を渡る飛び石は、その奥まで続いていた様にも見えます。
また、頂上部分には東屋の痕跡を見ることができます。それは、小石の混ざった洗い出しのような床で、掘っ立て柱の跡が残る...。

散策の途中、東屋から飛び石を渡り、ネットフェンスの向こう側に続いていた敷地の奥に向って散策する、当時の主の後姿が見えるようです。まるで幻影のように。

当blogの本店である「川越の風」で、「建築の風景*高輪の息遣い2」を纏める際に、歴史の痕跡を探し歩いた折、出会った場所です。その後、「建築の風景*高輪の幻影(前・後編)」で一歩踏み込んで触れてみました。

四方を、それぞれの地権者に囲まれたこの小高い丘を中心とした公園は、明治以降の歴史のうねりの中で取り残されたポケットのようです。
詳細な考証があってしかるべきかと思いますが、今のところ、ほんの入口程度で...(¨;)。

少し落ち着いたら、ディテールをもう少し掘り下げる...つもりです。
それにしても、月1ペースか...(^^ゞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月18日 (木)

鎌倉*八幡宮の夕べ

1608072016_0807__15

8月7日

鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りに出向く。
腕に覚えのある方々が献灯されている。

各々のぼんぼりにはメッセージがあり、
ついぐるりとひとまわりしてしまう。

明るいうちに参拝は済ませておいてから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月31日 (火)

鎌倉*旧華頂宮邸

2016_0519_05
これまで、何度か訪れることになった。
その来歴もさることながら、その立地は鎌倉にはよく見られる「谷戸」と呼ばれる深く切れ込んだ谷地であって、そこには常に風が吹いている。少なくとも訪れるといつも。

無性に、そこに自分を置きたくなるときがある。運が良ければ、周囲を取り囲んでいる、木々の梢を吹き抜ける風の音を独り占めにできる瞬間がある。その瞬間は、他者との干渉は生まれない。
風と語るだけ。これも鎌倉の個性かもしれない。

2016_0519__03タイミングがあえば、鎌倉駅西口の竹扇さんで「日替わり丼セット」で昼食を済ませる。本日の丼は、しらす丼の頻度が高そう。蕎麦は選択できるのがうれしい。限定なので間に合うときだけ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

点描*築地市場まつり

記事が途切れていましたが、言い訳は抜きにして、これはどうにか月内の記事にしようと思います。開場から81年を経過し、惜しまれつつも本年11月2日に業務を終了する築地場内市場に、5月3日開催された「築地市場まつり」を訪ねました。 2016_050301_2

2016_050309_3大正12年9月関東大震災で被災した日本橋魚河岸をはじめとする諸市場が、業者間の調整を乗り越え、昭和10年に東京市中央卸売市場としてスタートしたことが、都市機能のひとつの息吹となった。

2016_050312_2各種賑わいを見せる屋外のイベントをのぞいた後は、休業日でひとけのない、仲買の方々が店を連ねる通路をのぞいて回る。

2016_050308営業日の場内とは違う顔を見せているのは当然だが、その歴史を閉じるのが目前となった今、場内からは、人間の営みの精気が解き放され、人の息遣いが消 えようとしている。
そしてまた、そこには都市の脈動を感じる変化が訪れる。 (とは思いつつ、最後には、「築地市場まつり」の練り物詰め放題500円に挑戦して帰ることにした)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 8日 (月)

迎賓館の息遣い

2016_021315

本年最初の投稿は、迎賓館の息遣いから。
本年4月からの本格実施が予定される中で、試験的な参観を実施しているとのこと。迂闊だったが、偶然、ニュース報道で知った。これまでは抽選制であったと思うが、あらかじめの応募によらないシステムということであり、画期的だと思う。

ジョサイア・コンドルに指導を受けた片山東熊が、明治天皇の皇太子の離宮を建設するため、欧米を歴訪調査して生み出した宮廷建築として歴史に名前を残す。

本館内は公式行事に使用される華麗な4つの公用室が順路となっている。現在は撮影不許可であるが、その空気感を感じることはできる。いずれ規制が緩和されることを祈りたい。

竣工以来、二度の大規模改修を経ているようで、オリジナル感を残す場面と、現役の用途が強く感じられる場面が混在するが、片山東熊と美術スタッフの息遣いを探すために、再訪を期したい。

(2016.3.23加筆)
内閣府のHPに、「平成28年4月以降の迎賓館赤坂離宮の公開について」と題した記事が発表されています。参観方式は、これまでの経験を元に新たな工夫があるようです。併せて、本館及び主庭の公開については、「有料化」が発表されました。博物館や美術館には入館料、寺社には拝観料がありますが、「行政財産」の公開と引き替えに、公開に関する経費は国民が負担するというロジックなのでしょうか、いささか違和感を覚えるのも事実です。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧