浅草*三社祭の景色
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かっぱ橋商店街で寄り道です。
何かと発見があり目移りしますが、そのうちの一部を。
(店内での撮影はご了承を戴いたものです...(^^ゞ)
何処でも見る店舗用の椅子だけど、高さが違って用途が違いそう。
イメージは、寿司屋、蕎麦屋、居酒屋の順かな。
それと、結構いいお値段なんだ...(^^ゞ
*当ブログのギャラリー「風の休日」でも掲載中です*
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夏になると何かと暦を気にして出掛けたくなります。
7月9日には浅草寺の「ほおずき市」に出向きました。
四万六千日の功徳で有名な観音様のご縁日ですが、ご縁日そのものは10日なんですね。
よって、功徳にあずかったかどうか自信がありませんが、夏の風情を感じてきましたので、まあよしということで...(^^ゞ
日が長くなり、なかなか暗くならないので(写真的な思惑が少しありまして...)、まずはお近くの「かっぱ橋」に出没しました。
その辺りを含め、当ブログのギャラリーである「風の休日」に写真を掲載しております...(^^ゞ
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「祭り見物はいっしょに」
本社神輿、まだあ? そろそろかなあ?
「風の休日」 路地の風景*浅草・三社祭 その2
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日曜の午後から、「三社祭」に出掛けてきました。
皆さんそうかも知れませんが、私も大いに祭り好きです。
地元の川越まつりでも、日頃生活している街角で、祭りをつくる息遣いを感じることができて心地よい。
出掛けた先の街でも、その街の活気の余韻を分けてもらっているような気がします。
浅草は、おかみさんの存在感を感じますね。
おかみさん訓練生(若い方)を含めて。
浅草に回る前、午前中は、「参議院」の参観に出向きましたが、以降、何回かに分けて紹介することにします...(^^ゞ
「風の休日」 路地の風景*浅草・三社祭
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去る日曜日、浅草寺から上野の寛永寺まで、川越のルーツを紐解きながら歩く企画で「浅草歩き」をしましたが、目的の上野寛永寺に向かう道端で、いくつかの建築物との巡り合わせもありました。 1階の作業場にも、採光や通風が配慮された町工場の風情ですが、2階のパラペットのコーニスはくっきりと引かれた
端正な面持ちが目に留まりました。
昭和初期のモダニズムの印象が感じられます。
戦災を生き残り、時代を繋ぎ止めてくれているようです。
曰くありげな日本家屋群で、思わず見入ったのですが、事後チェックの結果、東上野の龍谷寺裏でありました。
それにしても異色。
台東区役所裏の旧下谷小学校です。小学生を見守る役割は終え、今は、別の役目を担っているそうです。
昭和3年11月竣工だそうですので、典型的な震災復興小学校ですね。
時間の都合でこの一枚だけになりましたが、もう一度瞼に残しておきたい建物でした。
(台東区*東上野にて)
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川越まつりも終わりましたので、浅草歩きの続きを少し...(^^ゞ
松屋のビルがほんの目と鼻の先の「新仲見世」の商店街一角に、
「浅草地下街入口(地下鉄銀座線)」という電飾が頭上についた、
狭い階段の降り口があります。
階段を降り左に折れると、そこには、地上の世界とは流れる時のスピードがどうも違うような、ディープな空間があります。
昭和28年完成との紹介記事がありましたが、お店の入れ替わりはあったのでしょうけれども、その空間の風景は昔のままです。以前は感じられた、朽ちた地下街の雰囲気というか、ウェットな空気感が薄れているようですね。きれいになったように思います。
地下街の階段と「タイムスリップ」って、小説のテーマに馴染む組み合わせですが、階段を降りていく自分が、そこに現れる空間に何かを期待をしているのが分かります。
ここで、話題はもう一度、地上に戻りますが、
今回、思わず、「あーあっ」と唸ってしまったことがあります。
何かと言いますと、銀座線浅草駅の1番出入口(雷門、仲見世口)に立つ雷門ビルが消えていました。
昭和4年10月1日に竣工した、当時、東京地下鐵道株式会社が
副業として初めて取り組んだ商業ビルでした(上野浅草間の開業は昭和2年12月30日)。
その描写を「東京地下鐵道史-乾編-」から引用してみますと、
「雷門直營食堂を開業した。その經営については、範を阪急食堂に則り、内外共に完備せる科學的施設をなし、料理の佳美と低廉とは、都下食堂経営者の先驅として異彩を放ち、忽ち淺草の一名所となった。」とのことです。
まずは、副業として、浅草寺の門前という土地柄から、地下鉄出入口を生かした食堂経営を試みたということですね。その後、地下鉄チェーンストア展開のきっかけとなりました。
現在、私たちが訪れる機会もなく(1番出入口は別として)、その意味では価値がありませんでしたが、繰り返される営みの中で、またひとつ歴史の証人が、時の波の中に消えていったとうい感慨にも似たものでしょうか。
(浅草*浅草地下街の片隅にて)
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