路地*谷根千、本郷編

2007年8月21日 (火)

千駄木*旧安田楠雄邸を訪ねて

20070818_022600暑さが一休みした18日、
(財)日本ナショナルトラストが管理する千駄木の旧安田楠雄邸を訪ねました。

実は二度目の訪問になりますが、来歴の紹介は、前回の記事から引用します。
建築の風景*千駄木・旧安田邸


今回は、「防空壕」の公開という企画もあり、また、暑さも一休みとなりましたので街歩きの虫が騒ぎだし、えいやっと出かけた次第です。
特別企画のためか多少混雑していましたが(夏休みもあってか)、大正期の近代和風建築として都心に現存し、生活を営んでいた方々の生活の息吹を感じることが出来るという意味では、大変貴重な存在であると思います。

邸宅を概観してみますと、
東西に長い敷地いっぱいに日本家屋が連なり、北側に面した長い廊下には採光と通風が意識された窓が続きます。
南側は、採光が意識されたサンルームや和室の配置の中に、広がりのある空間が構成されています。
敷地を生かした全体の構成には安定感と完成度を感じますとともに、僅かな修復を除いて現況を維持し、一般公開できることは意義のあることと感じます。

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2007年5月13日 (日)

建築の風景*千駄木・旧安田邸

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「東京人」(february 2007 no.236)の特集「たてもの保存再生物語」で、その詳細が紹介されていますが、現在、(財)日本ナショナルトラストの管理の下に保存が図られている、千駄木の旧安田邸へ見学に赴きました。

実業家である藤田好三郎氏によって、1918(T7)年に建築され、後に、安田善次郎氏の娘婿である善四郎氏が購入、その後、その長男の楠雄氏の居宅でありました。楠雄氏の没後、遺族の方から(財)日本ナショナルトラストへ寄贈される運命をたどり、その姿をとどめることになったということです。

邸内は、修復が施されていますが、オリジナルのバランスを損なうことなく、抑制的なものです。広大な庭園を有する居宅ではありませんが、広い縁側は、庭との一体感を醸しだし、しっとりとした邸内の空気感とともに、「大正期の近代和風建築」の香りが漂っていました。

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旧安田邸を後に、谷根千散歩のつもりで歩き回りましたが、足を伸ばせば、上野、御徒町、秋葉原まではあっという間です。
秋葉原では、御茶ノ水よりの丘の上にある神田明神の例祭が、2年に一度の本祭で、神田祭の活気にあふれていました。
神田明神の風景は、「風の休日」で掲載予定です...(^^ゞ

路地の風景*江戸の夏祭り
路地の風景*江戸の夏祭り その2





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2007年1月15日 (月)

路地の風景*寛永寺坂の幻影

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昨年、上野、谷根千あたり歩き回った際、気になって捜してみた風景です。
引き出しに仕舞ってしまうと安心し、つい忘れていました。
危うく、お蔵入りになってしまうところでした。

その正体は、ネットでも多く紹介されていますが、日暮里を出た後、上野の山の地下を走る京成電鉄の廃止された「地下駅」の跡です。
「寛永寺坂駅」という名称でしたが、上野寛永寺は目と鼻の先で、
住所は台東区上野桜木、谷中霊園の入口脇です。

同じく、京成電鉄の地下駅として近年まで営業していた「博物館動物園駅」(H9休止、H16廃止)は、「東京国立博物館」の敷地の角にある、国会議事堂のようなデザインの駅舎が有名です。
双方とも、1933(S8).12.10に開業していますが、「寛永寺坂駅」は、休業再開の期間を含め、1947(S22).8.21の廃止まで足掛け14年という運命の違いがあったようです。

*駅の来歴については Wikipediaを参照。   
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細部を眺めると、通りを背に正対した側ではなく、左脇にある敷地境界に突き出した屋根と、不自然に「斜め」に位置する古いシャッターが気になります。(写真↑)
地下ホームへ(取り壊されているそうですが)降りる階段の位置などは不明ですが、正面の通りと駅舎の間の乗客の動線を配慮した出入口の位置設定なのではないかと想像されますが、どうでしょうか。P0003600_1
また、敷地の一角には、
正面に「国威宣揚」とある、国旗掲揚台があります。
その脇には、「紀元二千六百年記念」「昭和十六年十二月八日」とありました。
また、見落としましたが、建立した地元の町会名(だったと思いますが)もあるそうです。
谷中霊園の入口に位置し、寛永寺の目前にある駅前の広場は、当時の地元の方にとって、重要な意味があったのでしょうか。

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2006年12月17日 (日)

本郷界隈*「復興の幻」 その3

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本郷界隈*「復興の幻」 その2では、文京区本郷一丁目にある、
関東大震災の復興計画に基づく小公園である「元町公園」を点描してみましたが、今回はその補足です。
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「南西角のモニュメント」
指し示す方向に何か意味がありそうですが、
彫像そのものは、後世の模造品の様にも見えます。
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「滑り台と砂場」
ディテールが分かりやすい写真がネットにありますが、
意匠を体現しているように見えます。
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「水飲み場」
よく見ると、壊れていたオリジナルを丁寧に修復したのが分かります。オリジナルを生かした再生に取り組んだ意気込みを感じます。
何時のことなのだろうか。
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2006年12月13日 (水)

本郷界隈*「復興の幻」 その2

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「元町公園」
この、神田川に面した本郷台地のはずれに位置する、
どこか設計者の情熱を未だに発信し続ける小公園について、
路地の風景*本郷界隈「復興の幻」では、その来歴について触れてみましたが、今回を含めて2回程で、その表情を拾ってみます。

P0610191930_0003800 前回の写真にもありますが、意匠が配慮された換気塔のグリルのようにも見えます。
外堀通りに面した南西の角にあるのがどうも収まりが悪く、何とも印象的です。
何かしらの焼却施設とも思えなくもありませんが、公園地下に、戦時中、防空壕が造営された旨の記述もありますので、その換気塔なのかもしれません。
想像です...(^^ゞ

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「正面エントランス」
本郷台地の斜面に、3層の階段状の構造で構成される。
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その構成の下に、落水をその意匠に加えていた。
カスケード(水階段)としての設計であったらしい。

P0610191930_0010800_1「藤棚を支える列柱」











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神田川越しに遠くまで眺望できたはずの、震災から復興したばかりの東京の姿も、今は幻のようですね。

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2006年12月 3日 (日)

路地の風景*本郷界隈「復興の幻」

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いわゆる、谷根千から本郷界隈を抜けて、辿り着いた目的の地は、神田川を見下ろす本郷台地のはずれに位置する「元町公園」です。
(昭和5年開園、昭和59年文京区によって復旧工事)

大正12年の関東大震災の後、東京市の震災復興計画に基づき、
復興施設として整備された公園です。同じく不燃、耐震化された小学校と併設される形で、防災拠点としての役割をもって整備されたものであり、整備された52の小公園の中で、唯一原型を留めているとされています。

水道橋駅前から外堀通り沿いに、お茶の水方面に向かって坂道を辿ると、公園の展望施設などが見えて来ます。
数年前、前提となる何の知識も持たず、この公園の前をとおり過ぎた際、写真の一角が目に入りました。
現代の単なる児童公園にはない、その一角が醸し出す
特別な雰囲気から、足を踏み入れたのが最初の出会いでした。

最近、文京区による取り壊し移転計画の存在を知り、再度訪れることになりました。

東京は、関東大震災によりその姿を一変させ、復興の過程では大きな発展を遂げたましたが、後世の人間が、その復興の持つ意味を、その遺構に触れ、感じることができる場所であるような気がします。
言わば、語り継ぐべき歴史の証人なのかもしれません。
その表情の点描は、次の機会に紹介したいと思います。

(文京区*本郷1丁目 旧元町あたり)

点描① 本郷界隈*「復興の幻」 その2

分離派建築博物館 その他関連サイトを参照させて戴きました。

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2006年12月 1日 (金)

路地の風景*本郷界隈「一葉の幻」

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「一葉の幻」

本郷界隈 その3で、長屋の庇の先に開けた明るい景色は、
この古い階段を降りた先の風景に導いていました。

どこかで見たことがある風景であると分かりましたが、この界隈を散策すると、何となく行き当たる生活の風景なのかもしれません。
一葉の旧居跡は、この改段下あたり...とのこと。

残念ながら、その生涯については、コメントする力量に欠けますので、ここまでということで...。

(文京区*本郷四丁目 旧菊坂町あたり)

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2006年11月29日 (水)

路地の風景*本郷界隈 その3

前回取り上げた鳳明館台町別館と「本館」の間の路地を辿ると、
菊坂に至る「梨木坂」となります。
その後、さらに「菊坂」を右手に下り、途中で手摺りのある階段を
何気なく降りれば、右手の「菊水湯」が目に留まります。
誘われるように、その前を「破風」を眺めながら行き過ぎれば、
突き当たりで見上げるのは「鐙坂」です。
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この辺りを散策される方は、
樋口一葉の足跡を辿るのが目的であると思います。
今回は主目的ではなかったので、気ままに歩いてしまいましたが、本当は「菊水湯」に向かう前、左折するのが正解であったようです。

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「鐙坂」の中腹には、古くからの日本家屋が残っていましたが、
坂の途中、擁壁に沿った路地に入ると、路地の庇の向こうには、
明るく開けて見える景色がありました。
そこには、先程登ってきた鐙坂を別ルートで下る階段があり、その先には、先程見過ごしてきた樋口一葉の旧居跡があったようです。
(そちらは、次の機会に...)

この近辺は、よく取り上げられる風景の様ですが、住宅の密集しているところで注意書きなどもあり、散策される方には気配りが必要そうです。(^^ゞ

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2006年11月22日 (水)

路地の風景*本郷界隈 その2

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(鳳明館台町別館)

弥生から本郷へ、東京大学の正門前を過ぎ、
本郷通りを渡れば、本郷の路地裏散歩のエリアに。
鳳明館は、本郷の旅館の古い佇まいを、色濃く残しています。
この台町別館に隣接する本館は、登録有形文化財の指定を受けているそうですが、玄関先だけではよく分かりませんでした...(^^ゞ
宿泊代金も調べてみましたが、思いの外庶民的です。

P061019502_1鳳明館に至る手前の、路地に面した日本家屋ですが、こちらも、纏まりのある落ち着いた風情です。
二階は部屋数がありそうで、下宿屋の風情とも見えなくもありません。

玄関の引き戸を開けた瞬間から、そこのある木の温もりと、漆喰壁のひんやりとした感触に囲まれた時間の進み方は、自ずと異なるものなのかも知れません。

(文京区本郷5丁目界隈)

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2006年11月19日 (日)

路地の風景*本郷界隈

先月、ある秋晴れの日に、
谷中から千駄木、根津を抜けて、本郷のはずれにある目的地まで、
気ままに散歩しました。
千駄木、根津を抜けても6(+1)回を数えましたので、
そろそろ本郷界隈に。

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「弥生の小径」
東大工学部の裏に、杜の小径を見つけました。
2階建ての、テラスハウスのような集合住宅が息を潜めてました。

(文京区の弥生あたり)

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