建築と歴史*川越編

2008年1月 4日 (金)

川越*年の初めに

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欠かせないのは、地元川越での初詣です。
3日には喜多院でだるま市が立ちますが、雑踏の中、お参りを済ませると新年を実感します。

今年はあまり、絵にならなかったのですが、次々と順番を待つだるまさん達の勇姿を(↑)一応押さえて置きました...(^^ゞ

近くには成田山川越別院があります。また、少し本川越駅よりにある蓮馨寺も歴史が古い古刹です。

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また、初詣の帰りに、ちょっとした出来事が。

ある交差点で、道を捜してお困りの老人がいましたので、お声を掛けました。地元の者としては、当然のことで...(^^ゞ

本川越駅への道ということで、その道々お話を伺うと、50年ぶりに川越にお越しになったとのこと。遙か昔の川越の姿を御存知であることにも驚き、また、なんと昭和17年まで旧山吉デパート(↑川越市仲町「少し前の姿」)の2階でお勤めであったと伺いこれまた驚きで...。

お茶でもしながら、昔の話を伺えばよかった。

だけど、そんな人とのすれ違いもあるんだなあと思います。
新年早々、忘れられない記憶になりそうです。

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2007年2月 4日 (日)

建築の風景*亀屋さんの舞台裏

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川越の蔵造りの街並みが始まる一番街の入口である
仲町交差点の角に(その昔は角の駐車スペースのところにもう一軒あった)、川越藩御用達でもあった和菓子の老舗である「亀屋」さんの店舗(写真↑)があります。

数ヶ月振りに、一番街を通りましたら、亀屋さんの蔵造りの脇にあった店舗が取り壊されており、思いがけず、亀屋さんの舞台裏の一部が垣間見えるようになっていました。奥には、一部煉瓦造もあり、鉄格子のある窓も見えます。
交差点を左折し、裏手に回ると、同店を経営する山崎家のコレクションを展示する山崎美術館があり、同店の蔵の間を裏から入ることもできますが、今回、目に触れるようになっているところは、別の意味で、興味を引きます。

2007_01270036600それから、そのすぐ向かいには川越で最初のデパート店舗として知られる山吉デパート跡がありますが、長年、廃墟のまま放置されていました。
設計者は、第八十五銀行本店(現埼玉りそな銀行川越支店)と同じ、保岡勝也です。
今回、写真(←)のとおり、復元工事が開始されているのを見つけ、大変驚きました。(気がつかなかった...(¨;)
川越にとって、ひとつのメモリアルでもあり、一番街の風景の中で、再び生を受けることができたのは、明るいニュースでしょう。

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2006年10月28日 (土)

建築の風景*御用和菓子店の和洋館 その2

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川越市松江町の「旧山崎家別邸」の特別公開「その2」です。
内部は、年代を感じますが総じて質素な印象です。
ステンドグラスは玄関脇の階段に光が差し込み、内部からガラス越しの一枚を期待しましたが、整備途中の特別公開のためなのか、
「写真はご遠慮下さい」とのこと...。
「遵法精神」で、今回は眺めるだけ。
いずれ正式公開するらしいので、その時に期待しましょう。
そんなこんなで、年代物の電灯スイッチ等もあったのですが(個人的には注目!)、断念しております。
...ということで、今回は和洋館の外観を紹介します。

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2006年10月25日 (水)

建築の風景*御用和菓子店の和洋館

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先の川越まつりの折、松江町の佐久間旅館裏手で息を潜めていた「旧山崎家別邸」が特別公開されました。
代々、川越藩御用で和菓子を商って来られた、「亀屋」さんの五代目当主山崎嘉七氏の隠居所とされていますが(現在は市が所有する)、設計者である保岡勝也との出会いについても興味あるところです。

1925(大正14)年竣工で、大正から昭和初期にかけての和洋館建築の流れそのものですが、先に取り上げた、丸の内の「赤煉瓦オフィス街」の開発の他、個人宅の作品にも腕を振るった保岡勝也の作品であるとのことで、ともかく駆けつけた次第です。

外観だけになりますが、次回に詳細をギャラリー編で...(^^ゞ

(川越市*松江町あたり)

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2006年5月 7日 (日)

建築の風景;川越編

2006800≪日本聖公会川越キリスト教会聖堂≫
川越市松江町2-4-13
大正10年  ウィリアム・ウイルソン
パットレスや、尖塔アーチの窓というゴシック様式が見られる煉瓦造の礼拝堂建築です。

蔵造りの街並みの玄関口にあたる、仲町交差点から東に延びる丁字路の突き当たりにあり、遠くからもファサードが見通せる、川越のランドマークのひとつです。
ゴシック風建築ですが、不思議と蔵造りの街並みとも違和感を感じさせない、風景に溶け込んだ込んだ礼拝堂です。
年末でしたか、信者の方々が、教会前の樹木の枝払いをされましたので、全体の表情がよく分かるようになりました。

2006800_1 正面右端に定礎石らしき銘板が。
大正10年の建築ということですが、
「大正九年 川越基督教會」と読めるような...気がします。
竣工日ではなく、石造建築の基準となる隅の礎石を鎮定した日( => Corner Stone Laying Ceremony)なのかも知れません。教会独自の意味づけがありそうですね。

今回から、テーマの名称を「建築の風景」と変更することにしました。
「探偵団」の語感が何とも心地よいですが、世間的に通りが良すぎるので、ここは新たにオリジナルで行こうと、そういうことです。(^^ゞ
テーマ、視点についての変更はありません。
これからも、歴史の断面にも視点を落としながら、随時投稿して行きたいと思っております。 

次は、4日に取材した白金・高輪編を、シリーズで予定しています。

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2006年3月18日 (土)

建築の風景*川越と保岡勝也

2006031420010800 12日(日)より3回連続で、「川越の建物」をテーマとした市立博物館の歴史講座があります。
第1回は近代建築がテーマで、川越における歴史を体系立てて再認識することが出来ました。
その中でも今回の成果は、①旧第八十五銀行本店(埼玉りそな銀行川越支店)、並びに②旧山吉デパート(いずれも蔵造りの街並;一番街)について、設計者を保岡勝也と改めて確認したことでした。
貴重な近代建築群ではありますが、これまで、著名建築家との関連をあまりイメージしていませんでしたので、目の前に新しいイメージが広がることになりました。

保岡勝也は、1900(M33)年、岩崎久彌が第3代社長を務める三菱合資会社に入社しました。遡ること1890(M23)年には、商法施行前の三菱社が、前年、政府より一括払い下げを受けた丸の内の開発のために「丸ノ内建設所」を設置し、東京駅前(正確には出来る前)の賃貸用ビジネスビルの開発が始まりました。
顧問となったJ.コンドルの手でよって、1894(M27)年には、現在の馬場先門に至る馬場先通りに、第1号館が竣工しています。
それに続く開発は「一丁ロンドン」を形成しますが、その後、開発は曽禰達蔵に引き継がれ、第7号館が1904(M37)年に竣工しています。

保岡勝也は、曽禰達蔵の退社後、技師長としてその後の開発を指揮し、1912(M45)年の退社までに、第8号館から第20号館までの設計を終えています。丸の内仲通りの赤煉瓦街(構造は途中からRCを採用)は、保岡によってほぼ完成されたと言われています。

正確には、在職中、第21号館の基本設計までを手がけているのですが、その立面図、写真と、旧第八十五銀行本店(埼玉りそな銀行川越支店)と比べてみますと...。

*藤森照信氏の論文「丸の内をつくった建築家たち-むかし・いま」より引用 。藤森氏の論文によれば、ドームの形状は、その後、実施設計時に変更されているらしい...。 
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640_1 双方をじっと眺めていますと(いささか無理矢理なのも認めますが)、「似てる!」と言うか、同じ遺伝子が、川越の地に、一丁ロンドンに始まる丸の内赤煉瓦街の面影を伝えているような気がしてならないのですが、如何でしょう。

川越は、1893(M26)年の大火からの再建を契機として、耐火建築としての「蔵造り」に脚光が当たったと解説されますが、その反面、煉瓦造の建築物は定着しなかったようです。(日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂が現存)
そのような文化の中、保岡勝也によって、結果的として、丸の内煉瓦街の遺伝子が川越にもたらされたとするならば(構造はSRCになりましたが)、歴史の波間から、保岡の歩んだ道の一端が垣間見えるような気がします。

20060320011640 ≪旧山吉デパート;中央の仮囲いのある3階建て≫ 廃墟のままですが、ファサードに残るステンドグラスから、往時の雰囲気を伺い知ることができます。旧第八十五銀行本店(現埼玉りそな銀行)は通りを挟んで右手奥。

20060330005800 保岡は、1913(T2)年に個人事務所を開きます。旧第八十五銀行本店は1918(T7)年、旧山吉デパートは1936(S11)年の作品で、しばらく年月がたっていますが、通りをはさんで現存するふたつの建築物に共通する設計者が確認できたことで、認識を新たにしました。

*藤森照信氏の論文「丸の内をつくった建築家たち-むかし・いま」を参照しました。

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